« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006年3月の記事

2006年3月24日 (金)

March Madness

 アメリカはMarch Madness真っ盛りである。ふだんはNCAAの結果を追いかける余裕もないくらい忙しいNBA関係者(含NBA選手)も、この時期ばかりは特別だ。
 きょうのレイカーズ対バックスの試合を、ワシントン・ウィザーズのカロン・バトラーが見に来ていた。バトラーは昨季レイカーズにいた選手。明日の昼間にクリッパーズとの試合があるので今夜からLAに滞在していて、元チームメイトたちの試合を見に来たというわけ。でも、ちょうどレイカーズ戦と同じ時間にバトラーの母校、コネチカット大の試合をやっていたから、そっちも気になってしょうがない。最後はついに我慢できなくなって記者席にやってきて、記者席の上にあるテレビで母校の応援をしていた。この時点でコネチカット大対ワシントン大の試合は残り19秒、76対80とコネチカットが4点負けている厳しい状況。テレビに向かって、「カモ~ン、頑張れ」と声援を送っている。すぐ目の前のコートではレイカーズも接戦を戦っていたのだけど、もうそっちのけ。それでも、さすがに少し遠慮がちに応援していたのが、タイムアップ寸前にコネチカット大が3点シュートを決めて同点に追いつくと、大声で"Yeah!"と叫んで、ガッツポーズ。そのまま試合が延長に入ると、「この試合はもうもらったな」と言い残して、会場を後にしていった(レイカーズ戦はまだ続いていたのだけど)。

 NBAでも、この時期はプレイオフのシード争いや、プレイオフ出場をかけた争いの正念場で、別の意味でのMarch Madnessと言ってもいいかも。プレイオフ出場ギリギリのところにいるレイカーズは、バックスに勝利して3連勝。試合後、囲み取材が一段落したところでコービーに、「お父さん(東京アパッチのヘッドコーチ、ジョー・ブライアント)とは連絡を取っている?」と聞くと、2日前に話したばかりだという。それだけに、アパッチがプレイオフに向けてシーズン最後の正念場に入っていることもよく知っていて、「お互いに、この時期はplayoff push(プレイオフに向けて最後の追い込み)の大事な時期だ」と言っていた。コービーとジョーの親子は、コービーの結婚に関する意見の食い違いで一時期疎遠になっていたことがあるのだけれど、どうやら、今ではすっかり元通りの仲良し親子に戻ったようだ。
 仲良し親子といえば、コービーの家族話でもうひとつ。2日前の試合後、ロッカールームの囲み取材中、コービーのジャケットの胸に、小さなディズニーのお姫様シールが貼られているのを発見。まじめに試合の分析をしているコービーのコメントを聞きながら、その場とは不釣合いなお姫様シールが気になって気になってしょうがなかった。囲みが終わったあとに聞いてみたら、やはり3歳の娘、ナタリアがくれたのだとか。カッコつけ(?)のコービーも、目の中に入れても痛くないほどかわいがっている娘(この子が、また本当にカワイイのだ)からもらったシールとなれば、たとえそれがお姫さまシールでも取るわけにはいかないようだ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年3月23日 (木)

感情を表に出す、ということ

 最近のレイカーズ戦取材での密かな楽しみはベンチにいるロニー・トゥリアフの観察。とにかくハイパーな男で、下手すると試合に出ているときよりベンチにいるときのほうが運動量が多いんじゃないかと思うほど。ワンプレーごとに立ち上がり、跳び上がり、腕を振り、タイムアウトになるとコートに走り出てチームメイトたちを迎える。試合前もクワミ・ブラウンやアンドリュー・バイナムという、ふだんあまり感情を表に出さない選手たちを相手に引きずり込んで、シャッフルしてみたり、チェストバンプ(跳び上がって胸をぶつけるヤツね)をしてみたり。試合に出るとその元気のよさで頑張りすぎてミスすることもあるのだけれど、彼のよさをわかっているチームメイトたちは苦笑いしながらも許している雰囲気。ま、まだルーキーだしね。チームの全員がトゥリアフのように感情を出していたら大変だけど、彼のような選手がチームに一人いると刺激になって、活性剤になる。

 そんな彼を見ていて、先日のWorld Baseball Classicsでのイチローを思い出した。テレビで見ていて、今のイチローを取材してみたいなぁと心から思った。ふだん野球の取材はしない私なのでイチローの取材をしたのは彼がかつてマイケル・ジョーダンに会いにきたときだけ。その後、大リーグにやってきてからの活躍には感嘆していたけれど、特に取材したいと思ったことはなかった。でも今回はスポーツの壁を越えて、取材してみたいと思った。それは、やはりこの大会中の彼がそれまでのイメージを覆すような言動を見せ、これまでは平常心という殻の陰に隠れていた感情を表に出していたからだ。その変化に、ライター心が刺激された。

 アメリカは、日本に比べると感情をストレートに表に出す世界だ。そういえば、アメリカに来た日本人バスケットボール選手にアメリカ人選手といっしょにプレーしての感想を聞くと、必ずといっていいほど返ってきたのが、「練習でも、負けたときには無茶苦茶悔しがる」「感情をすごく表にだす」ということだった。これはきっとほかのスポーツでも同じではないかと思う。苦笑いしながらまわりのアメリカ人をそう形容しながらも、「それだからアメリカでプレーするのは楽しい」と言う。まわりの人のことをおもんばかることが美とされている日本人はなかなかここまで素直に感情を出すことができないだけに、そういう激しさ、情熱をストレートに出せることがうらやましくもあり、そうやって感情を表に出す彼らに引きずられるようにいつも以上に力を出すことができたることが嬉しくもあり…。
 そんなアメリカ人の中でやっている間に、日本人選手たちも少しずつ感情を素直に表に出すようになってくる。派手に感情を出すアメリカ人の中にいると気づかないかもしれないけれど、日本に戻って、渡米前にいっしょにプレーしていた仲間と久しぶりにプレーしたりしたときに初めて、自分のその変化に気づいたりするのだ。
 今回のイチローはある程度意図して感情を出していたところもあるだろう。でも、きっとああいう鼓舞のしかた、感情を表に出すことでチームメイトを引っ張るやり方はアメリカで身につけたものなのだろうなぁと思う。

 そういえば、中国からNBAにきているヤオ・ミンも、最近は前より喜怒哀楽を出すようになってきた。それはアメリカではおおむね、「いい変化」だと受け止められている。でも、中国ではそんなヤオの変化に戸惑う人もいるようだ。アテネ五輪のときにはヤオが意見をあまりにストレートに口にしたこともあって、「すっかりアメリカナイズされてしまった」と嘆く人もいたらしい。日本もそうだが中国も、単に感情を表に出して意見をはっきり言えばいいという世界ではないだけに難しい。
 それでも、ヤオもイチローも、プレーで結果を出しているからこそ、そういった異文化の風をチームに持ち込んでも受け入れられ、最終的にチームをプラスの方向に導くことができるのだ。日本バスケットボール界にもいつの日かそういう存在となりえる選手が出てきてほしい。そしてそのときこそは、ぜひその選手を取材してみたい。

---------
2月分のブログ記事を、当時の日付にさかのぼってアップしてます。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2006年3月 2日 (木)

ミステリー・マン

 スポイラ(Sports Illustrated)のサイトに、クリス・ケーマンの記事が出ていた。タイトルが"Mystery Man"。ケーマンの、つかみどころがない雰囲気がよく出ていて、面白い記事だった。…と思ったら、きのうはSLAMもケーマンの取材に来ていて、なんだか、いきなり人気者。確かにあの髪型といい、かつてのランビスのようにカルト的な人気者になる要素はあるかも。

 そのケーマンがきのうの試合の途中、私の隣の席にやってきた。クリッパーズの試合では、私はラジオ放送席のすぐ隣に座ることが多いのだが、きのうもその定位置だった(ちなみに席はクリッパーズが指定してくる)。現在足首の捻挫で欠場中のケーマンが、2Qにラジオのゲスト解説をすることになって隣の席にやってきたのだ。手に持っていたのは茶色のビン。「まさか、欠場中とはいえ試合中にビール?彼ならやりかねない…」と思ったのだけれど、あとから空瓶(飲み終えた空瓶をケイマンは目の前のカップホルダーに逆さに立てて残していったのだ)をじっと見たら、ルートビアだった(ルートビアを知らない人のために念のため、ノンアルコールの飲み物です)。「一瞬でも疑ってごめんよ~」と、あとから心の中で謝っておいた。

 しかし、ケーマンは背は高く、ちょっと風変わりではあるけれど、それ以外は本当に隣のお兄ちゃん風。彼がやってきたとき、私はパソコンを広げて急ぎのメールの返信を書いていたのだけど、それを横から覗き込んで、「日本語で打ち込んでいるの? ワオ!」と素の反応。
 クリッパはケーマンに限らず、こういった隣の兄ちゃん風の選手が多いというのが魅力のひとつだと思うのだけど、実は、とある若手クリッパの選手が本当にうちのご近所さんだという事実が判明。同じコンドミニアムに2ヶ月くらい前に引っ越してきたのだそうだ。確かに来季からできる専用練習場にはかなり近いし、街としてはクリッパーズ選手が何人か住んでいるという話は聞いていた。しかし、このコンドに住んでいる選手がいるとはね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »