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2007年11月の記事

2007年11月30日 (金)

カメロの母校

P1230208s NBA選手の母校訪問シリーズ第2弾。今回訪れたのはバージニア州にあるオークヒル・アカデミー。
 タイトルにカメロの母校と書いたけれど&今回の取材はカメロのことがメインだったのだけれど、この高校、おそらくアメリカで(ということは世界で)最も多くNBA選手を輩出している高校なのだ。
 ざっと最近の選手をあげると、ジェリー・スタックハウスもここの卒業生だし、ジェフ・マギニス、ロン・マーサー、スティーブン・ジャクソン、サガナ・ジョップ、スティーブ・ブレイク、もっと最近ではジョッシュ・スミスやラジョン・ロンド、マーカス・ウィリアムスもオークヒル同窓生。ケビン・デュラントも、ジュニア(11年生)のとき(モントロス・クリスチャンに行く前の年)に一年だけオークヒルにいたことがある。
 もらってきたメディアガイド(高校でメディアガイドを作っていること自体がすごく珍しい)には、NBAにドラフトされた選手として20人の名前があげられている。その中にデュラントは入っていないから(今年のドラフトだったからなのか、それともオークヒルを卒業したわけではないからなのかは不明)、実際にはもっと多いことになる。

 そんな伝統が一目でわかるのが上の写真の奥の壁にかかっているユニフォーム。このサイズだとよくわからないかもしれないが、全部、オークヒル卒業生の大学でのユニフォームだ(カメロのシラキュースのユニフォームは下の段の一番左。その横6枚目はスタックハウスのノースカロライナのユニフォーム)。レプリカではなく、実際に着たものを各大学から(その選手が大学のキャリアを終えたあとに)もらったのだというからスゴイ。地元のコレクターから、全部まとめて7万5千ドル($1=110円で計算すると約825万円)で買い取りたいとオファーされたこともあるらしいが、今もユニフォームが壁にかかっていることからわかるように、このオファーは断ったのだという。かけられているユニフォームを数えると49枚あるが、当然、ディビジョンIに進んだ選手はもっといて、ジムを訪れた大学の関係者からも「うちにもオークヒルの卒業生がいたのに掛けられていない。送るからぜひ掛けてほしい」と言われるらしいのだが、すでに壁のスペースがなくなってこれ以上かけられない状態なのだとか。写真をクリック拡大したときのサイズをいつもより大きめにしているので、興味がある方はどうぞ(それでも、まだちょっとわかりにくいかな…)。

 オークヒルといえば、全米ランキングの上位常連チーム。数年前から何度か試合を生で見てきたが、印象としては緻密なバスケットボールをするわけではなく、大味でミスも多いのだが、力、能力差で相手をねじ伏せてしまうチーム。それだけ能力が高い選手が多いということでもある(勧誘しなくても、選手のほうから『入りたい』と言ってくるのだという)。今日の試合(相手はバスで7時間かけてオークヒルまでやってきたジョージアの高校)でも、出だしは競っていたのだけれど、2Qの終わり頃から少しずつ点差が開き始めて、最後には118対77と、41点差でオークヒルの勝利。

 ひとつ、今回の取材でこれまでに持っていたイメージを覆されたことがあった。オークヒルの選手は勉強をしないというイメージだ。いろんなところで聞いた噂話などからそう思っていたのだが、実際のオークヒルは全寮制で、少数精鋭の学校。規律も厳しく、実際に生徒の多くは学業面での向上を期待してオークヒルにやってくるらしい。バスケットボール選手も、大半の選手が大学に入れるだけの成績を取っているのだという。勝手な先入観を持っていてゴメンナサイ。

P1230267s  さて、この高校が他の高校に比べてとても特殊なのは、全寮制であることと、ど田舎(バージニアの山の中)にあること。今回、私も、まずはシャーロットまで飛行機で飛び、そこから車で宿泊した街まで約2時間弱。さらにそこから1時間余りかけて高校にたどり着いた(シャーロットからまっすぐ行けば2時間ほどらしいが、何しろ、近くにホテルを見つけられなかったのだ。実際にはもっと近くにあるらしいのだが)。
 そんな場所にあり、しかも大人のつきそいがなければキャンパス外にも出てはいけないなど厳格な規則がたくさんあるから、都会から来た生徒にとっては最初はかなりキツイようだ。カメロも、最初の頃は家に帰りたくて泣いてばかりいたのだとか。
…と、カメロがオークヒルに通っていた頃の話もいろいろ聞いてきたのだが、この続きは月刊バスケットボール2月号(12/25発売)で。

 とても楽しかったNBA選手の母校訪問取材なのだが、ウィンターカップ前のミニ特集だったので、残念なことに今回のオークヒル訪問で終わり。うーん、残念。また、そのうちこの続きの取材をする機会があるといいな~。

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2007年11月18日 (日)

プロの世界

(文末に追記があります)

 ジャムに合流した田臥勇太について、おととい夜に「いっそのことカットされたほうが…」なんて書いたら、昨夜(11/17)、本当にカットされてしまった。

 ビザの関係でキャンプ開始から6日遅れで、チーム練習に合流したのが15日の夜。それからたったの2日間(時差ぼけもある中での練習2回と、その合間にいきなり行われた練習試合1回田臥選手のブログによると2回目の練習前にカットを告げられたようなので、練習1回と練習試合1回)だけでカットってどういうことよ、と思うし、そんな判断の仕方はフェアではないとも思う。田臥にしても、本調子が出せないうち、不完全燃焼のうちのカットだったことだろう。こんなに早々にカットするなら、なんでリターニング・プレイヤーとしてプロテクトしたのか、プロテクトされなければドラフトで他のチームに指名してもらえたのに、とも思っていることだろう。

 とはいえ、この世界、フェアかどうかなんて関係ないのだ。コーチからチームに必要だと思われれば残れるし、思われなければ残れない。リターニング・プレイヤーにしたことにしても、コーチからすれば、そのときには、他の選択肢(他の選手)よりもいい選択肢だと思ったのだろう。ドラフトでいいガードが取れなかったときの保険のつもりだったのかもしれない。こういう不条理さも、プロである限りはよくあること。しかたないことと割り切るしかない。

 それにしても、結局、ハリックは最後まで田臥のサイズでは無理と決め付けたままだった。去年から見てきて思うのは、ハリックというコーチは、選手やチームのの長所より短所、よかったところよりもミスしたところを気にするコーチだということ。田臥に関しては、とにかくサイズ不足でディフェンス面でやられることが何よりも気になるようだった。結局、田臥はその偏見をひっくり返すだけのものを見せられなかった、とも言える。
 確かに、おとといの練習試合でも相手ポイントガードは田臥が出てきたと同時にサイズの差を突く1対1やポストアップを仕掛けてきて、得点につなげられる場面も多かった。久しぶりの状況に、田臥自身もいつもほど対応しきれていないようでもあった。ハリックは「やっぱり」という思いを強くしたのかもしれない。

 今回のカットは田臥にとって屈辱かもしれないし、挫折と感じているかもしれない。でも、今の彼はこういったことをプラスのエネルギーに変えるだけのメンタリティは持っているとも思う。これをどう乗り越えていくのかに注目したい。

 ちなみに、Dリーグのチームからカットされた選手はDリーグ登録の予備選手となり、他のDリーグ・チームからのオファーを待つことになる。あるいは、他チームからオファーがない場合は、他のリーグのチームと契約することもできる。

P1220895s P1220897s
(1日だけの幻となってしまった背番号7番ユニフォーム姿)

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11/20追記
 チームへの合流が遅れたことが解雇の原因だと思っている方も多いようなのだけれど、それは違う。また、ビザ手続きの遅れが田臥自身の不手際だと思い込んでいる人もいるようだけれど、それも違う。
 まず、ビザ更新の手続きはDリーグと契約するまで始められないわけで、あとは大使館でどれだけ迅速に手続きをしてくれるか次第。今回はたまたま、大使館側での手続きが終わる前にアメリカの休日に入ってしまい、思った以上に日数がかかってしまっただけのこと。田臥の不手際でも何でもない。
 そして、ハリックがいくら厳格な元大学コーチでも、そういった不可抗力で合流が遅れたことだけを理由にカットにしたわけでもない。
 もちろん、合流が遅れたことで、実力を見せきることができずにカットされたということはあるだろう。キャンプの最初から参加していたら、もう少しハリックを納得させるようなプレーができていたかもしれない。
 とはいえ、ヘッドコーチがハリックで、今のロスター(先日の練習試合を見る限り、ハリック好みで、それなりにサイズがあるポイントガードが2人はいた)だったら、結局、田臥は最終ロスターには残れなかったのではないかと思うのだ。
 言ってみれば、ただ単にハリック&ジャムとは縁がなかったということ。それに、最初からサイズでだめだと決め付けるハリックのもとにシーズン通して残るよりも、もっと田臥の持ち味を買ってくれるコーチのもとでプレーできれば、そのほうがずっといい結果に繋がると思う。今は辛抱のとき。そういうコーチ、チームが見つかると信じるしかない。

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2007年11月17日 (土)

背番号7

P1220875s

 田臥勇太、ようやく始動!

 ビザ手続きの都合でチーム合流が遅れていた田臥勇太がようやくベイカーズフィールド・ジャム(NBAディベロップメントリーグ)に合流した。
 日本から帰国して2日目=チームに合流した翌日にいきなり試合(表向きは「スクリメージ」、つまり練習ということになっていたけれど)だったため、ゲーム・コンディションを取り戻すのに苦労していた。前半は足が動かなくなり、自らベンチに下がるリクエストを入れたほど。

 それにしても、ヘッドコーチのジム・ハリックは相変わらず田臥のサイズ不足を気にしていて、そのこと&チーム合流遅れがロスター決定の際にどう影響してくるのやら。

 昨シーズンから感じていることなのだが、正直言ってハリックの元では田臥は持ち味を発揮できそうにもない。いっそのことカットされて他のチームに入ることができれば、そのほうがいいような気もするが、かといって他のチームに入れる保証もないわけで、難しいところ。まぁ、本人としては、全力でプレーし、結果を出すことで道が開けると信じて努力し続けるしかないのだろうけれど。

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2007年11月 3日 (土)

レブロンの母校

P1220814s_2 今回のクリーブランド取材の一番の目的はここ。クリーブランド近郊、アクロンにあるセント・ビンセント-セント・メアリー高校、レブロン・ジェイムスの母校だ。
 ヘッドコーチに話を聞く前の日に練習を見せてもらった。月曜と火曜にトライアウトを行ったばかりという、出来立てのホヤホヤのチームの、たぶんシーズン2回目の練習。

 ここは私立の高校で、レブロンの高校として生徒も増えたというから、そんなにお金がないとは思うのだけれど、体育館は1つだけ(この高校を卒業した記者によると、もうひとつ新しく体育館を建てる話も出ているらしい)。授業が15時に終わり、女子チームが18時まで練習。18時ぴったり、女子が終わると同時に、男子の練習が始まった。

 私が見たのは最初の2時間だけだったのだが、そのうち1時間をディフェンスのポジショニングのドリルに使っていた(翌日に聞いた話では、そのあとさらに1時間、同じドリルをしたらしい)。
P1220807s_2   現在のヘッドコーチは、レブロンがジュニア(3年)、シニア(4年)のときのヘッドコーチ(1~2年のときはアシスタントコーチ)なのだが、いやぁ、厳しい、厳しい。指示したことが直っていなかったり、動きが悪かったり、動きをサボっていたりすると、緑のシャツを着たバーシティ(一軍)とジュニアバーシティ(二軍)が全員ダッシュ(白シャツはフレッシュマン=一年生チーム)。ドリル1~3回に一度の頻度で「ベースライン!」との声が飛び、ミスが繰り返されると2往復、3往復と増えていく。
 彼の前のコーチ(現在、近くの大学のヘッドコーチ)も同じように厳しいコーチだったらしく、レブロンの時代には、彼もこうやってダッシュさせられていたようだ。

 まだまだいろんな話があるけれど、続きは11/24発売の月刊バスケットボール1月号にて。
  ←現在、ウィンターカップ前の3回集中連載で、アメリカの高校について書いてます。1回目の12月号では、ロサンゼルスの公立高校、フェアファックス高校を取り上げてます。

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