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2008年9月の記事

2008年9月29日 (月)

JBL開幕戦取材

 また少し、間があいてしまいました。9月半ばからきのうまで約2週間、日本に一時帰国していました。
(私信:今回は時間に余裕がない帰国だったため、帰国の連絡すらできなかった友人、知人も多数。ここを見て「なんだ、帰っていたのか」と思った方々、スミマセン!)

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P1000013s_2   日本滞在中にちょうど田臥勇太選手が加わったリンク栃木ブレックスのJBL開幕2連戦(対東芝ブレイブサンダース)が行われたので、これだけは見なければと、宇都宮まで行ってきた。ブレックス2連敗という結果にも出ているように、まだチームは噛み合っていなくて、田臥だけでなく他の選手の持ち味も発揮できていなかった。走るチームのはずなのに、ほとんど走る機会がなかったり、パスがうまく繋がらなかったり、最後の詰めが甘かったり、見ていてもどかしい。今後、修正が必要なことがたくさん。いいように受け止めればこれからの伸びしろがあるとも言えるけれど、実際に伸びるかどうかは、田臥を含めた各選手の適応力次第といったところだろうかか。ブレックスが今ひとつの分、東芝の上手さばかりが目立つ試合だった。

P1000019s_4  さて、その東芝に昨季アメリカで何度か見た選手がいたので、開幕戦後に話を聞かせてもらった。
 その選手とは、東芝に新規加入したアメリカ人選手、コーリー・バイオレット。ゴンザガ大出身で、昨シーズンは、田臥が所属したDリーグで、アナハイム・アーセナルと同じディビジョンのアイダホ・スタンピードに所属していた。昨季のスタンピードはレギュラーシーズンで最高成績、最終的に優勝という強豪チーム。試合中大声を上げ続ける熱いコーチの元で、チームとしてまとまって戦う好チームだった。バイオレットはその中で特別ずば抜けたスタッツをあげていたわけではなかったけれど、それでも中心選手の一人で、頭がよく、器用で、しかも熱いプレイヤーだった(※)ので、かなり印象に残っていた。

※実際に話してみたらとても温和。昨シーズンの印象では審判に食ってかかるなど、けっこう短気なのかと思っていたけれど、コートを出て話した印象はまったく正反対だった。

 バイオレットと田臥、立場もポジションもプレースタイルも違うけれど、NBAから見ると共通点もある。二人ともポジションにしては少しサイズが足りないのだ。田臥のサイズ不足についてはよく言われるけれど、バイオレットの場合もNBAでPFをするには小さく、ずば抜けたジャンプ力を持っているわけでもない。かといってSFをするには少しスロー。こういった、「NBAに入るには何かが少し足りない選手」が世界中にはたくさんいるのだ。

 それにしても、Dリーグの優勝チームでそれなりのスタッツを残し、しかもDリーグ・オールスターにも出たバイオレットのような選手が日本でプレーすることを選んだということが少し意外だったのだけれど、本人いわく、これまで東芝でプレーした選手に話を聞いて好印象だったのと、実際に東芝からの勧誘がとてもプロフェッショナルだったことで、日本行きを決断したのだという。他にはベルギーとイタリアのチームからもオファーがあったけれど、東芝がオファーしてきたオファーほど条件がよくなかったらしい。これまでにミネソタやユタでサマーリーグに出たり、トレーニングキャンプに参加したりしてきて、今年もNBAチームからキャンプの招待があったほか、望めば再びスタンピードに戻ることもできたのだという。でも彼としては、NBAに向けてのアピールは去年したので、今はバスケットボールができる間に稼いでおきたいということらしい。

P1240183s_2  昨季、何度か対戦したアナハイムにいた田臥を覚えているかどうかバイオレットに聞いてみたところ、「よく覚えている。(田臥はプレータイムが少なかったけれど)先発の選手(ウィル・ブレイロック)よりも彼が出てきたときのほうがボールがよく動いていて、僕らのチームにとっては戦いにくかった。あのチームのコーチがなぜ田臥をもっと使わなのか理解できなかった」とのこと。まぁ、今、日本でプレーしているのだから、日本人選手の田臥に対するリップサービスも多少はあったのかもしれないけれど、実際に話を聞いた印象では、心にもないことを言ったわけでもないと思う。
(写真左は今年2月のスタンピード@アーセナル戦での田臥とバイオレット)

 JBLデビュー戦でのバイオレットは26点・12リバウンド、2戦目でも19点・13リバウンドと大活躍。東芝にも、日本のスタイルにもあっているし、本人も「日本はとても気に入っている。ここはみんな親切だし、日本食、特に寿司が大好きだ。東芝はとてもプロフェッショナルで、望むものはすべて与えてもらっている」と言っているので、この先、何年も日本でプレーし続けるような選手になるかもしれない。

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 田臥選手やブレックスについては、田臥選手本人のほか多くの方に取材させていただいたのですが、ナンバー(10/16発売 714号)に記事を書く予定なので、まずはそちらに集中します。記事を書いたあとで書ききれない話が残っていたときには、あとからここにも書くかも。

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2008年9月 2日 (火)

岐路

P1250155s  田臥勇太選手が7月のNBAサマーリーグ@オーランドに参加したときのことをブログで書きそびれていたので振り返って書こうと思っていたのだけど、その前に、本人が日本に帰国&JBLのリンク栃木ブレックスと契約というビッグニュースが出てしまった。なので、今回の帰国のことをサマーリーグの取材話を交えながら書いてみようと思う。

 今回の田臥の帰国がNBAを諦めての帰国ではなく、挑戦を続けるための帰国だということは本人もブログに書いているし、きょうの記者会見でも語られたことだとは思うのだけど、それに関して、アメリカで取材してきたことを交えて少し書いておこうと思う。帰国の決断をした後は本人とは話をしていないので、その部分に関しては私の想像も交えてあるけれど、たぶん、それほど見当違いなことはないとは思う。

 4月、シーズン終了のときにも書いたけれど(4/18シーズン終了(2))、昨シーズンは田臥にとってはかなり厳しい、それでいて充実感もあるシーズンだった。去年秋、NBAのトレーニングキャンプにも呼ばれず、所属するはずだったDリーグのチーム(ベイカーズフィールド・ジャム)からはシーズン前にいきなり解雇され、バスケットボール・シーズンが始まってからもしばらくは一人で練習するしかない日々だった。その後、別のDリーグ・チーム(アナハイム・アーセナル)から声をかけてもらい、ローテーション外でプレータイムがもらえない試合もあったりする中で、あくまで控えとはいえ、少しずつコーチの信頼を勝ち取って試合に出られるようになった。一番の目標だった成績という結果だけ見ると、決して成功といえるシーズンではなかったかもしれないが、アーセナルではチームメイトとの関係もマイナーリーグとは思えないほどよく、Dリーグのレベル自体もやりがいがあるものだったので、4月にシーズンを終えたときには「今までで一番充実したシーズンだった」とも言っていた。

 そんなこともあってか、実はシーズンが終わった時点では彼は日本でプレーすることはまだ考えていなかった。Dリーグでは3年間やってみて、思ったような結果(個人成績、NBA昇格)には繋がらなかったので、別の道を考えるかもしれないなとは思ったし、実際に本人もヨーロッパのリーグは視野に入れるとは言っていたけれど、あの時点では日本に戻ることはまだ選択肢ではなかった。日本のバスケ界のことは気にかけていたけれど、海外でチャレンジを続けることで外から刺激を与えるという形で貢献していきたいと言っていた。「それが今の自分のできる貢献の仕方」と言っていた。

 それじゃ、そのときから4ヶ月で気持ちが変わり、日本帰国という道を取ったのはなぜなのだろうか。それは、7月のサマーリーグでの経験があったからなのだと思う。

P1270883s  これまでNBAサマーリーグは田臥にとってはNBAに認めてもらう場というだけでなく、プレーするのが楽しい場だった(これは、NBAのトレーニングキャンプも、そしてDリーグも同じく)。高いレベルでプレーできることが楽しいと何度も言っていた。だからこそ、前もってネッツから3番手、場合によっては4番手のポイントガードという立場になるかもしれないと聞いていても、サマーリーグに参加することを選んだのだった。プレーで証明すればプレータイムも増えるだろうと思っていたところもあるかもしれない。

 でも、結局、プレータイムはあまりもらえなかった。特に2試合目の前半に出たときにターンオーバーやシュートミスからチームの流れが悪くなってしまってからは、ほとんど出番がなくなってしまった。もちろん、ミスをしたからプレータイムが減るというのは当然だし、ここでもう少し活躍できていたら、もう少しプレータイムがもらえていたかもしれない。でも、若手選手なら同じようなミスをしても使い続けてもらえる。むしろ、サマーリーグは若手にそういう経験をさせるための場なのだ。ベテラン(中堅)の選手の場合は違う。いつの間にかベテランになっていた田臥にとってサマーリーグは自己証明でプレータイムを勝ち取る場でもなくなっていたのだ。
 これまでと同じ考え方でやっていてはいけない。いろいろ根本から考え直さなくてもいけない。そういうことを肌で感じたサマーリーグだったのだ。そしてそれを肌で感じられただけでも、このサマーリーグに来てよかったと言っていた。「そうでなかったら、またずっとここにしがみついていたかもしれない」と言っていた(このあたりのことは7月に発売された月刊バスケットボールとHOOPの9月号に詳しいレポートを書いてます)。
 これは、サマーリーグについて言っていたことだけれど、それだけでなく、今までしがみついていたことを見直す時期だと感じたのだと思う。年齢。プレータイム。プレーする場所。契約金。そういった、今まで自分自身の中での常識、こだわり(年を重ねてきてもこれまでと何も変わらないと思っていた。プレータイムは自分の力で勝ち取ればいいと思っていた。プレーする場はアメリカにこだわっていた。マイナーリーグのように契約金が低い場でも構わないと思ってきた)に対して、田臥は「今までとは少し違う。しっかり考えていかなきゃいけない」と言っていた。

 このサマーリーグのときに、次の進路を選ぶときにいくつかの選択肢があったら何を基準に選ぶか聞いたところ、こう言っていた。
「(チームの)状況を見て、どれだけ出られるかというのをまずしっかり確認して、どういう(プレー)スタイルかっていうのを確認していきたいですね。それで、どっちが自分にとってベターなのかっていうところで判断していきたいなと思います」
 言い換えると、自分にどれだけあったスタイルで、どれだけプレータイムを得ることができるのか、チームのほかの選手などの状況はどうなのかを判断するということ。
 ただ単により高いレベルでやりたいのならDリーグで続けることを選んだと思う。あるいはヨーロッパを選んだかもしれない。でも、そういう場ではシーズンが始まって一から自分を証明し、コーチの信頼を勝ち取るということをまた繰り返さなくてはいけない。それによってプレータイムを勝ち取ることができたとして、確かにそれは自分のレベルアップに繋がるかもしれないが、シーズンを通しての数字という結果として残すのは難しい。
 そういうやり方を3年繰り返してきただけに、今回は最初から確実にプレータイムが得られるとわかっているチーム、自分に信頼をおいてくれているとわかっているコーチのもと、自分にあっているスタイルのチームでプレーすることを最優先にしたのだと思う。そしてそれが、高校時代のコーチ、加藤三彦コーチがいるブレックスだったのだろう。そう考えると、今なぜ日本なのか、その中でもなぜブレックスという選択をしたのかがわかると思う。

 NBAへの挑戦を続けるといくら本人が言っても、日本に帰ったことで一歩後退だと思う人もいるかもしれない。実際のところ、日本のリーグでいくら活躍しても、どれだけ数字をあげても、それだけでNBAやヨーロッパからチャンスをもらえるわけではないと思うし、プレータイムなどプラスになる部分がある一方で、別の面で苦労すること、考えなくてはいけないことが出てくると思う。本気で挑戦を続けるつもりなら、そういった足りない部分をどうやって補うのかを考えていかなくてはいけないだろう。年齢的にも30に近づき、すでに将来性は売りにならなくなっている。その中でチャレンジを続けるためには意思を強く持ち続けることも必要だろう。日本に帰ったから簡単なのではなく、日本に帰ってもチャレンジを続けることは、これまでよりさらに大変な道だと思う。

 それでも、それが田臥選手本人が、この道が前に進むための道だと思って決めたことなら、海の反対側から応援したいと思う。そういえば、前にも同じようなことがあったな~。6年前、BYUHを辞めて帰国し、トヨタに入ったとき。まわりではいろいろ言う人はいたけれど、本人は「日本に帰ったからって、逃げて帰ってきたわけでも、終わったわけでもない」と主張していたっけ。
 
 最後に、4月のブログ記事でも掲載したことの再掲になるが、シーズン終了時点での田臥選手の言葉をあらためて紹介しようと思う。まだ帰国を決める前のインタビューでの言葉だけど、今の彼の気持ちをよく言い表しているのではないかと思う。

「NBAでやりたいという気持ちはいつでも持っていて、当たり前のこととして置いてある。僕はNBAに近づいたか近づいていないかっていう言い方はしたくないんです。どこでどんなチャンスがあるかわからないし、誰が見てくれているかもわからない。そのためにアメリカに来てDリーグでやっているわけですから。今やるべきことをやっていって、NBAにより近づけるためにこれからどのステージ(舞台)を選んで、どこのチームを選んでやっていくかっていうのを探りながらやっていくことが必要だなって思います」

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