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2008年10月の記事

2008年10月27日 (月)

ブレックス取材こぼれ話

 すっかり間があいてしまいました。早いもので、明日はNBA開幕。完全にNBAモードになる前にリンク栃木ブレックスの話の続きとして、Number714号掲載の記事では書ききれなかったことを、書き留めておきます。

■田臥の勧誘(加藤HCと田臥の関係)
 田臥がブレックスに入るというニュースが流れたとき、たぶん多くの人が、能代工高校の恩師、加藤三彦監督からの勧誘があったからだろうと想像したと思う。でも、実は加藤HCはブレックスのHCに就任した後、一度も直接、田臥には連絡を取っていなかった。実際、ブレックスHCに就任した少し後に田臥に取材したときも、「(加藤監督からは)連絡も何もないです」と言っていた。

 実は、ブレックスが田臥の代理人に契約オファーを出したときに、代理人から「本人とは直接コンタクトを取らないこと」と言われていたのだという。それでも、先生と教え子なわけで、直接的な勧誘でないにしても連絡取るくらいはしても不思議なような気もするのだけれど、それさえなかったという。最初から欲しくてしかたない選手だったのに、なぜ、直接連絡を取ろうともしなかったのだろうか。そう聞くと、加藤HCはこう言った。
「僕はけっこうルールを守るほうですね。彼(田臥)もルールを守るほうだから、たぶん、お互いにルールを守るから(直接)連絡を取れなかったんだと思います」

※余談だけど、長年アメリカで取材してきた中で田臥から加藤HCの名前が出ることはほとんどなくて、密かに「実は仲が悪かったりして」なんて勘ぐったこともあった(スミマセン!)。
 今回、田臥本人にそう言ったら、「そんなこと(仲が悪いなんていうことは)、ないですよ」ときっぱり否定されてしまった。「今までは先生と生徒という立場のほうが強かったので、正直、あまりコミュニケーションを取る機会もあまりなかった。新年の挨拶をメールでさせてもらったり、節目節目で挨拶させてもらうくらい」とのこと。
 高校生のときの先生(コーチ)と生徒って、そういうものかもしれないけれど、先生(加藤)が言うことを、生徒(田臥)が「はい、はい」と言って聞くような、言ってみれば一方的な関係だったのだという。
 それが、今回、こうい形でプロチームのプロコーチとプロ選手という関係になったことで二人の関係もだいぶ変化し、より対等な関係で、双方向の話ができる関係に発展しているのだそうだ。かつての教え子とこういう関係になれるのって、先生(HC)にとってはすごく嬉しいことなんじゃないかなと思う。

 P9210001s ■チーム経営の側面から見た田臥獲得
 シーズン直前にいきなり田臥を獲得することになって、金銭的にブレックスは大丈夫なのだろうかと心配する人もいたのではないだろうか。あるいは、最初から田臥獲得を考えて資金繰りをしていたのかと想像した人もいるかもしれない。それを、山谷GMに聞いてみた。そのときの山谷GMの言葉。
「我々はプロのチームなので、企業のチームのように、『今年いくら使います』ということを決めて、それをどう分配していくかっていうか、割り振っていくかっていう考え方ではないです。先行投資をすれば、そこでどれぐらい回収できるんだろうとかということを考えていくわけなので。だから、よく『お金がすごくあったんですか?』みたいな話をされますけれど、いや、ないからこそ我々としては(田臥を獲得したかった)。プロのチームとして、初めてJBLに上がるチームとしてはやはりインパクトが欲しいですし、経営的には正直、そう思いました。だから、そこは先行投資という意味合いで。興行なども算盤弾いて…というところまではいってなかったですけれど、ただ非常に可能性はあると判断して、経営的には判断したつもりです」

 確かに、こういう話を聞くと、プロチームでないと今回のようにぎりぎりまで田臥の決断を待つということはできなかったのかもしれない。それが、決められた予算を変えることができない(変えにくい)実業団チームの限界ということなのかもしれない。

 それでは、実際に田臥がブレックスに入って、スポンサーが増えたり、チケットが売り切れ連続になって、支払った契約金(額まではさすがに教えてもらえませんでした)に見合うだけの収入が入るだけの見通しが立ったのだろうか。そう聞くと、山谷GMはこう答えた。

「ある意味、彼(田臥)が来てくれるという決断をしてくれた中で、それがペイできなければ、経営は何をやっているんだっていう話ですよね。だから、それぐらい彼が決断をしてくれたことに敬意を表していますし、それを生かさなきゃいけない(と思っています)」

(写真は、ブレックスのオフィス近くに置いてあった自動販売機です)

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2008年10月16日 (木)

川村卓也から見た田臥勇太(2)

 きのうの続き。

■レールを外れる
 田臥選手と川村選手、かなり大きな共通点がある。それは、二人とも高校→日本の大学という、日本のバスケ選手としてはごく一般的な道を選ばなかったということ。田臥選手は高卒と同時にアメリカの大学に進み、川村選手は高校を出てすぐにJBL(OSG)に入った。そうやってレールを外れることって、すごくエネルギーがいることだと思うし、二人とも、それだけ意思の強さを持っているのだろうとも思う。

 そういう話をしたときの川村選手の言葉をいくつか。
「でも、ちょっと言い方も悪いんですけれど、JBLに行くのとアメリカに挑戦するのではレベルが違うじゃないですか。高校で、あのときの気持ちで海外に行くとなると、相当な心構えがないと行けないんじゃないかなって思います」
「(高校からJBLに行くのは)僕は本当に不安でしたね。どういう社会なのかもわからないし、自分のバスケットが通用するのか、そういう不安はあった。それを考えたら、(田臥選手は)その何十倍の苦痛をたぶん味わってきている。それが今となっては彼の経験となっているので。誰にも経験できないことを彼はしている」

 とはいえ、そうやって人と違う道を歩くということは、まわりからの目もそれだけ集まり、厳しいことでもある。周りの目はあまり気にならないほうなのだろうか?
「初めは、(まわりの目も)気になりましたよ。ウブだったんで(笑)。そのときは、すごい批判の声もあったりだとか、あいつは絶対にやっていけない、一年でやめるみたいな感じでは言われたんで、それだけは絶対に俺は嫌だと思って。とりあえず、一年目にちゃんと試合に出て、自分の力で勝ち取ってコートに立てば、まず、少数ではあるけれど、そういう見方が変わるのかなっていう風にも思った。あと、第三者が認めるっていうのは、数字だったりとか、結果なので、それはやっぱり自分が残していかなきゃ認められないことなんだなって。いくら大口叩いたって、結果がだめだったら誰も認めてくれませんから」

■圧倒的な数字
 奇しくも、川村選手から「大口を叩く」という言葉が出たけれど、帰国してから何度も繰り返し報道される田臥選手の例の言葉。田臥選手が、その言葉にこめた思いについてはナンバー記事でも詳しく書いたのだけど、彼も川村選手が言うように、言葉に出したからには結果を出さなくてはいけないという思いを持ってやっているのだ。
 それでは、川村選手は田臥選手が「圧倒的な数字を残します」と言うのを聞いて、どう思ったのだろうか。
「彼らしいっていう感じじゃないですかね。やっぱり自信に満ち溢れている…っていうよりも、自分に自信があるんで、たぶん自然に出るんですね」

 実は以前は、田臥選手もそういうことは口に出して言わなかったのだということを伝え、川村選手からも、そういった強気のコメントが聞かれるかと思っていたと言うと…
「(田臥について)そうなんですか。それが経験(から得た自信なんでしょうね)。日本では通用するっていうのが自分でわかっているんですよね。
 僕は謙虚ですから。そのへんは勇太さんに任せます。僕はまだ、自分よりすごい上のシューターがいると思っているので、その人を蹴散らしてから言います。何年後かに…早ければ来年言います」

 謙虚だといいながら、「早ければ来年」という言葉を最後に言うように、謙虚と強気、不安と自信の両方が垣間見えて、なかなか興味深い話でした。
 今回は、田臥選手に関する記事のための取材ということで、川村選手にも(最初にそう断った上で)田臥関連の質問ばかりをぶつけてみたのだけど、田臥のことを語りながら、その言葉の端々に川村選手自身が見えてきて、なかなか、面白い取材でした。川村選手、どうもありがとうございました。

 ブレックスの話はもう少し続きます。

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2008年10月15日 (水)

川村卓也から見た田臥勇太(1)

 ようやく仕事が一段落しました。先日、帰国したときに取材して書いた田臥勇太選手(リンク栃木ブレックス)の記事が掲載されているNumber714号も発売になったし、忘れないうちに、記事に入りきらなかった話を書きましょう。

 ナンバーでは田臥選手中心の話だったので、ここでは少し違う角度から。

 今回の記事を書くにあたって、実は川村卓也選手にも、開幕数日前の練習後にわざわざ時間をとってもらって、30分ほど話を聞かせていただいたのです(以前、キリンカップのときに囲みで取材をしたことはあったけれど、1対1で話を聞くのは初めてなので、話していて新鮮な印象を受けたことも多かったです)。
 そのときに話したことは、その後の取材や、記事を書く上では参考にさせてもらったのだけど、実際のコメントが記事中にはひとつも入らなくて、このまま埋もれさせるにはもったいないし、取材に協力していただいた川村選手にも申し訳ない…というわけで、せめて、ここでいくつかコメントを抜き出してみます。

■チームメイトになる前の、田臥選手に対する印象
「憧れみたいな感じですよね。触れたこともないし、会ったこともないし、ポジションも違うし。ただ、僕の中では同じ夢を持って、同じバスケットをやっているっていう感じ。僕が行ってみたいような世界でずっとやっているし、ふつうの考えじゃ、あまり挑戦しないことを自分の力で続けている方だったので。すごく過酷な挑戦を最初から諦めずに挑戦しているっていうところが、やっぱすごいなって思う」

 「同じ夢」とは何かと聞くと「僕もバスケットやっていく中でずっと目標にしているのは、NBAの舞台に立ちたいっていうこと。これは永遠のテーマ。引退するまで、それはずっと持ち続けたいと思っているので」とのこと。川村選手のこの気持ちがあるから、記事中に使った田臥→川村のコメントもあるのだと思うし、実際、今回、田臥がブレックスに入ったことで、一番大きく影響を受けるのも川村選手なんじゃないかと思うのだ。

■力の差?
 それでは、実際に田臥に会い、チームメイトになったことで、田臥がいた世界が前よりも身近に感じるようになたのだろうか。そう聞くと、川村選手からは即答できっぱりと「それはないです」と返ってきた。「やっぱり、力の差っていうのは歴然なんで。今、現時点で僕がアメリカに挑戦して、成功する部分が1割あったとしたら、あと9割は本当に反省すべき点だったりとか、勉強になる点だと思うので」と、意外(?)と謙虚だ。

 あとで田臥選手ともその話をしたのだが、「そういう、まわりに考えて気を使う言葉も、あいつ、うまいんです」と笑っていた。なるほど。若いからといってがんがん自分のアピールをするだけでなくて、そういった気の使い方もする人なのね。(田臥選手から川村選手に向けては、ナンバー記事中に別のコメントを使ってますので、そっちも見てね)

 自分の能力に自信もあるけれど、その一方で、まだ足りないという気持ちもきちんと持っている。そのバランスが彼の魅力なのかなと思う。

■コミュニケーション
 年齢にして5歳半違う二人。でも、「僕、やんちゃなんで」と言う川村選手は、どうやら田臥選手にも同年代と同じような感覚で話しかけたり、ちょっかいを出しているんじゃないかと思う(二人と話してみた印象からの想像です)。そして、アメリカで年功序列とは無縁の生活をしてきた田臥にとって、そういう関係はけっこう楽しいらしい。

「(田臥と)いっしょにいる間に盗めるところは盗みたい。すごい色々な経験をしている方なので。いろいろ、ちょこちょこちょっかいだして、話します」と川村選手。

 具体的にはどういうことを聞きたいのかと尋ねると、「もうけっこう聞きましたよ」との返事。こう言われると何を聞いたのか気になりますよね? 何だと思いますか?

「とりあえずアメリカの家賃とか」

 なんか、とっても現実的で笑ってしまったのだけど、でも、実際に行動に移したとき、これはすごく大事なことでもある。それだけ川村選手がアメリカを現実的に考えているということなのかなとも思ったり…。

 長くなりそうなので、ここでいったん切ります。

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2008年10月 1日 (水)

新クリッパーズ

 栃木から戻った翌日に飛行機に乗ってLAへ。そして、LAに戻った翌日にはレイカーズとクリッパーズのメディアデー(キャンプ開幕前日の取材日)が行われた。

 同じ街で2チームがあるLAだけに、メディア(特にテレビ、ラジオ媒体)が両方を取材できるように、いつもお互いに時間をずらしてメディアデーを行っている。レイカーズが先に昼頃から行い、3時間ほどずらしてクリッパーズ。レイカーズは100人近いメディアが集まるのに、クリッパーズのほうはパラパラとまばら…というのが例年の風景だ。

 でも、今年は少し違った。クリッパーズもいつもより注目されていたようで、レイカーズに集まったメディアのうちほぼ半分はクリッパーズに流れていた。まぁ、シーズンへの期待の表れというよりは、メンバーが大きく入れ替わり、エルトン・ブランドのチームからバロン・デイビスのチームに変わった目新しさがあったのと、そして何と言っても、これ(↓)。

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 他のNBAチームから遅れることX年、クリッパーズにもついに専用練習場ができて、この日はそのお披露目も兼ねていたのだ。建物に大きくドーンとクリッパーズのロゴが入っているところが、いかにも派手好きのドンちゃん(クリッパーズのオーナー、ドナルド・スターリンのことを、私たちは内輪でこう呼んでいる)。

 新入りのバロン・デイビスも、「これでスポーツクラブでトレッドミルをやっている隣が一般の人だったり、順番待ちされていて20分で中断しなきゃいけないっていうことがなくなる」と喜んでいた。実際には、クリッパーズがこれまで数年練習していたのは高級住宅地にあるスポーツクラブだったし、さすがにクリッパーズの選手がトレーニングしているのを途中で中断させるような一般会員はいなかったとは思うけれど。練習コートもクリッパーズが使っている間は一般会員も立ち入り禁止だった。ただし、コートは狭く、シャワーは一般の会員と共有だった。やはりまわりを気にせずにいつでもトレーニングできる環境というのはNBA選手にとって嬉しいものだし、FA選手がチームを選ぶときの決め手にもなりえる。マイク・ダンリビーがヘッドコーチに就任するときに、専用練習場の確保を条件として出したというのも頷ける。
 エルトン・ブランドやコーリー・マゲティなど、この練習場建設の話が決まったときのメンバーがすっかりいなくなってしまったのは少し寂しいけれど。余談だが、うちのコンドミニアムの住民だった某元クリッパーズ選手も、新練習場に近いこともあってこのコンドミニアムを選んだと言っていたのだけど、結局、新練習場で練習する機会がないままに別のチームに行ってしまった。

P1040108s_2  この3人が今シーズンのクリパーズの顔。バロン・デイビスはジェニー・クレイグのダイエット・プログラムで痩せたらしい。ケーマンも、オフにハイっていったん増えた体重を、バランスのいい食事と運動で落としたとのこと。彼いわく、「結局、どんなダイエットより、食事に気をつけて運動するのが一番。僕は幸い運動するのが仕事だからね」だそうだ。
 この3人の中には入れてもらえなかったけれど、去年の新人、アル・ソーントンも要注目。何しろ、昨季、エルトン・ブランドが怪我していて悲惨だったクリッパーズの中で、一番観客を楽しませていたのはソーントンだった。

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