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2009年10月の記事

2009年10月23日 (金)

一歩ずつ

P1280670s  10/20のマカビ・エレクトラ・テルアビブ@LAクリッパーズの試合後、ドロン・パーキンズに話を聞いた。2006年7月、ロングビーチで行われたサマーリーグのときに話を聞いて以来、3年ぶり、2回目だ。「サマーリーグのときに取材させてもらった…」と言うと、すぐに、「あぁ、あのときの」と思い出してくれた。

 2005-06シーズンにJBLのトヨタ・アルバルクでプレーしたパーキンズは、そのシーズンのアルバルク優勝に大きく貢献、リーグMVPに選ばれた。日本にいたのは1シーズンだけだったとは言うものの、その短い間に日本のファンに強い印象を残した、と聞いている(私自身はトヨタでのドロンを取材したことはないので、人から聞いた評価です)。
 そしてドロンにとってもまた、次の舞台に進むための大事なシーズンとなった。JBLで圧倒的な活躍を見せたので忘れがちだけれど、日本に来たときのドロンは大学(サンタクララ大)を出たばかり、つまりプロ1年目のシーズンだったのだ。

「プロになって最初の年に日本でスタートを切れたことは僕にとってすばらしい状況だった。あれから4年たって、1年目というのがどれだけ大変なのかがわかってきたけれど、日本では他ではないぐらい面倒を見てもらったのでやりやすかった。あのシーズンがあったから、今の成功もあるのだと思う」

 トヨタを離れたその夏にLAレイカーズの一員としてサマーリーグに出場するも、NBAロスター入りはならず、2006-07シーズンはドイツのEWEバスケッツ・オルデンバーグ、翌2007-08シーズンはベルギーのユーフォニー・ブリー、そして2008-09シーズンはイスラエルのマカビ・ハイファ・ヒートと、毎年チームを移り渡ってプレーしてきた。JBLでのMVPに続き、ベルギーでも、イスラエルでもMVPを取っているのだから、クビになったのではなく、自分で少しでもキャリアアップし、さらに活躍できる場を求めた結果の渡り鳥だったのだろう。今シーズンはイスラエル国内で移籍、ユーロリーグにも参戦していて、ヨーロッパのトップチームのひとつ、マカビ・エレクトラ・テルアビブに移った。

「baby step(小さな一歩)だけれど、少しずつ前に進んでいる。僕はこれまでずっと戦ってきたんだ。アラスカの小さい高校からジュニアカレッジに行き、そこから小さい大学(WCCのサンタクララ大。スティーブ・ナッシュの後輩)に行った。小さいステップだけど、少しずつ前に進んでいる。楽しんでやれているし、恵まれていると思う。今シーズンは初めてユーロリーグでプレーできるので、それが楽しみ」

 クリッパーズ戦では、33分30秒出場し、16点(FG 6/11, FT 4/6)、10アシスト、12リバウンド、5スティールと大活躍。
「バロン・デイビスを相手にプレーできるなんて、滅多にできることじゃないから、それが一番嬉しかった」とのこと。

 NBAの人たちに、自分もこのレベルでプレーできることを証明したいという気持ちもあったのかと聞くと、「3年ぐらい前の若いときだったらそう考えたかもしれないけれど、今はもう、そうは考えなくなった」ときっぱり否定。NBAに入りたいというよりは、少しでも自分にとっていい環境で、力を発揮できるチーム、リーグでプレーしたいとの気持ちが強いようだ。
「(NBA入りは)いいタイミングで、いい状況で実現するなら入りたいとは思うけれど、今はこの状況に満足している。海外のトップチームの一つでプレーできるのだから、NBA以外で考えればこれ以上の状況はない。いい環境だし楽しい。控えから出てきて、チームにエネルギーを与えるという、とてもやりがいがある役割を与えられている。
 もちろん自分を証明したいし、何ができるかを見せたいという気持ちはあるし、NBAに入れたらすばらしいと思うけれど、NBAだったら最初からまた証明しなくてはいけないし、それがいい状況になるかどうかはわからないからね」

 ちなみに、アルバルク時代のチームメイトのうち、チャールズ・オバノンや高橋マイケルとは今もまだ時々連絡を取っていて、いっしょにNBAのファンタジー・バスケットボールをやっているらしい。トヨタ時代からやっていて、その時は2度優勝したものの、昨シーズンはインターネットにあまり繋がなかったこともあって、成績も悪く、誰が優勝したのかすら知らないのだとか。
「でも、今年はまた復活する。優勝するよ」

 5分ほど、そんな話を聞いて、「じゃ、またそのうち、どこかで」と言って別れた。次に会うのは、どこの街、どのリーグ、どの会場になるだろうか。

 

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2009年10月21日 (水)

マカビ・テルアビブ@LAクリッパーズ

 きのう(10/20)のクリッパーズのプレシーズン試合対戦相手は、イスラエルのマカビ・エレクトラ・テルアビブ。この数年は、こうやってユーロリーグのチームが10月にアメリカに来てNBAチームとプレシーズン試合を戦うことも珍しくなくなってきた(今回、マカビは10/16にアメリカに来て、10/18に@ニックス、10/20に@クリッパーズという日程だった)。

P1000380s_3  それにしても、クリッパーズの本拠地、ステイプルズ・センターでの開催なのに、圧倒的にマカビのファンのほうが多いという不思議な試合だった。イスラエルの孤児院のためのチャリティゲームで、何でもクリッパーズのシーズンチケット・ホルダーのチケット・パッケージの中には入っていなかったらしい。マカビ・カラーの黄色を身に着けている人が圧倒的に多く、クリッパーズの名物ファン、クリッパー・ダレルがいつもの声援を始めても誰もあとに続かず、それどころかブーイングする人までいたほど。ニューヨークではLA以上にマカビ・ファンが多かったらしいというから、あらためてユダヤ人人口の多さと結束力の強さに驚かされた。

 マカビは13人中アメリカ人選手が5人、イスラエル人選手が6人、ポーランド人選手とアフリカのガボン共和国の選手が各1人ずつというチーム構成(しかも、ガボンのステファン・ラズメとイスラエル国籍のうち3人はアメリカの大学出身と、アメリカに縁が深い選手ばかり)。NBA相手の試合は国籍制限があるわけではないので、先発はアメリカ人4人+ポーランド人(元サンズ→ホーネッツ→ロケッツのマチェイ・ランペ)という、イスラエル人選手が一人も入らないラインナップだった。

P1280664s_2  アメリカ人選手5人のうちの一人が、今シーズンからマカビ・テルアビブに入ったドロン・パーキンズ。3年前、NBAのサマーリーグで田臥選手とマッチアップしたときにブログでも取り上げたことがあるけれど、4年前にトヨタ・アルバルクでプレーしてJBLのMVPを取ったガード。JBLのあと、ドイツ、ベルギー、イスラエルとチームを渡り歩き、ベルギーと昨季のイスラエル(マカビ・ハイファ・ヒートという別チームに所属)でもMVPを取っている。これまではユーロリーグに入っていないチームばかりだったので、ユーロリーグで戦うのは今シーズンが初めて。行く先々で結果を出し、順調にステップアップしているようだ。

 クリッパーズ戦でのパーキンズは、先発ではなかったものの、1Q半ばに出てきてすぐにジャンプシュートを決めたり、クリス・ケイマンのパスをスティールして速攻で得点を決めるなど、積極的なプレーでチームのリズムを作り出していた。後半にはテルフェアをドリブルで抜いてレイアップを決めたり、バロン・デイビスからチャージングを取ったり。終わってみたら16点・10アシスト・12リバウンド(トリプルダブル!)の活躍。試合は108-96でクリッパーズが勝ったけれど、十分に存在感を示していた。

 試合後にパーキンズにいろいろ話を聞いたので、明日にでもアップします。

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2009年10月14日 (水)

吉田アナのNBA台湾ゲーム・レポート

8月に天津でのアジア選手権のレポート(天津レポート天津レポート(2))を寄稿してくれた吉田暁央アナウンサーが、今度は先日、台湾で行われたNBAゲームに行ってきたそうで、写真&レポートを送ってくれました。ありがとうございます!

台湾でNBAの試合が行われるのは今回が初めてということもあって、ファンの興奮が伝わってくるようです。吉田アナも書いているけれど、そろそろ、また日本でジャパンゲームが見たいですね~。

では以下、吉田アナのレポートです。

* * *

吉田アナのNBA台湾ゲーム・レポート

10月8日台湾で初めてとなるNBAの試合が行われた。
会場は台北市の台北アリーナ。

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カードはデンバー・ナゲッツvsインディアナ・ペイサーズ。

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13.000人余を収容するこのアリーナ。
現地の報道によるとチケットは販売を開始して20分ほどで売り切れたそうだ。

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応援の準備をする台湾の美女。

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これで準備完了!
いざ客席へ~~~~!!!

コートサイドにはレジェンド達。
引退したばかりのブルース・ボーエン。今回はジュニアのクリニックを担当。

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ラリー・バードはラジオでのインタビューなど大忙し。

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やっぱり人気はカーメロ。

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そしてこんなボードも発見!

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お見事!!
練習の合間にアンダーセンがこのボードにサインをしてくれた。
こんなところもプレシーズンマッチのいいところ。

とにかく会場は熱気に包まれ、台湾にファンは心から生にNBAを楽しんでいた。

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そして集まったファンがバスケットの楽しみ方をよく知っていたので印象的だった。

この会場にいて台湾のNBAファンが羨ましく思えた。
JAPAN GAME をまた開催してほしいな~~~。(吉田暁央)

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2009年10月10日 (土)

十年一昔

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 きのう (10/9)のレイカーズのプレシーズン試合は、レイカーズが10年前まで(正確には98-99シーズンまで)ホームコートにしていたフォーラムで行われた。私は当時、まだLAには住んでいなかったけれど、遠征試合の取材で何度か訪れた懐かしいアリーナ。「最後に取材に行ったのはいつだったかな(97-98シーズンのブルズ@レイカーズ?)」とか、「最後のジョーダン対マジックの対戦(95-96シーズン)は試合後の記者会見が印象的だったな」などと、ノスタルジックな気分で行ったのだけど、その気持ちはみんな同じだったようで、あちこちから「そういえばあの時は~」なんていう話が聞こえてきたり、試合前も試合中も試合後も、あちこちでファンがコートを背に記念撮影していたり。

 懐かしい気分になる一方で、10年もたつと思っていた以上に色々なことが変わるということも実感。メディアのワークルームは、今では考えられないほど狭いし、現代のNBAアリーナではなくてはならないものになったVIPボックス席もない。そういえば、以前はどこも、こんな感じのアリーナだったなぁ、シカゴ・スタジアムもこんな雰囲気、こんな匂いがする場所だったっけと、忘れていたことを思い出した。NBAのアリーナの中で今でもその雰囲気が残っているのはNYのマディソン・スクエアガーデンぐらいかな。

 フォーラムの会場内はぱっと目にはあまり変化がないように見えたけれど(フロアやゴールはこのために搬入)、よく見るとセンターボードはすでに撤去されていて、この試合のために大スクリーンを両エンドライン側の天井からぶるさげなくてはいけなかったりと、年月の流れを感じさせた。レイカーズの現メンバーの中では、フォーラム時代からレイカーズにいたのはコービーとフィッシャーの2人だけ。2人は当時使っていたロッカーを今回も使っていた。ロン・アーテストは「ルーキーのシーズンに一回だけここで試合をした」と言っていたけれど、それより若い選手はフォーラムで試合をするのも初体験なのだ。

 ちなみに、今、フォーラムは教会が所有していて、少し前までは日曜の礼拝をここで開いていたらしい。その話をしていたら、顔見知りの記者の一人が、「昔も、ここでは宗教の集いが行われていたようなものだったけれどね」と。確かに。

※思い出した。最後にフォーラムに行ったのは2000年12月26日、マイナーリーグ、ABA2000の開幕戦のときだった。当時、サンディエト・ワイルドファイアに長谷川誠選手が所属していて、その取材に行ったのだ。そして、NBAの試合で最後にフォーラムに行ったのは1999年10月、レイカーズが最後にフォーラムで戦ったプレシーズン試合のとき。サンズに移ったばかりのペニー・ハーダウェイにロッカールームで取材したのを思い出した。

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2009年10月 9日 (金)

続シーズンイン

 9/14の「シーズンイン」記事の続き。少し間があいてしまったので、元記事に追加せずにこっちに新しくアップします。

* * *

P1080903s  すでに1ヶ月も前のことになってしまったけれど、9月、バスケットボール殿堂式典の取材の後に、少しだけ足を伸ばして、スラムダンク奨学生の早川ジミー&谷口大智の2人が留学しているサウスケントまで行ってきた。今月24日発売の月刊バスケットボール12月号にもレポート記事を書いたので、ここでは記事に書ききれなかった話をいくつか紹介。

■早川&谷口の2人と日本語で話していたら、チームメイトの一人が早川選手に「ジミー、君はいったいどこの出身? ブラックじゃないのか?」と聞いてきた。お父さんがアメリカ人の早川選手、確かにブラックの血が流れているのだからそう言われても不思議ないのだけれど、これは見かけだけの話ではないのだ。何しろ彼、いつの間にか流暢な、発音もネイティブかと思うような英語を話すようになっていたのだ。これにはびっくり。何しろ去年4月、トライアウトでサウスケントに行ったときには英語はほとんど喋れなくて、お父さん(日本語ペラペラ)ともいつも日本語で話していたのだとか。留学が決まり、高校バスケを引退した後に勉強したり、映画を見たり、英語を話す友人と積極的に交流したらしい。「昔からお父さんが話す英語はわかった」とも言っていたので、脳の後ろのほうに眠っていた英語が、勉強したことで呼び起こされたのかも。

■取材2日目は日曜だったので練習は休み。学校から車で30分ぐらいのところにあるスーパーとショッピングモールに行った。何しろ、サウスケントは車がないと買い物すらいけないような場所にあるので、必要なものはだいたいこのモールとスーパーで買出し。たまの気分転換でもあるようで、前日にはコーチから「羽を伸ばしたいのはわかるけれど、チームの一員である自覚を持って行動するように」なんていう警告もされていた。もちろん、彼らはまだアメリカの運転免許も車も持っていないから、いつもは学校が定期的に出してくれる大型バスに乗って行くのだとか。モールでは、シューズやスポーツウェアをだいぶチェックしていた。特に身長2m近い谷口選手は、日本ではなかなかサイズが合うものを買えないので、こうやってふつうにサイズが合うものが売っているのが嬉しい、とのこと。そう言いつつ、結局、この日はモールでは何も買わず。

■モールに行く道中に聞いてびっくりした話。早川選手、3年のインターハイ前の九州大会で膝を故障、なんと前十字帯が切れていたのだとか。ふつうなら手術して、復帰するまで1年近くリハビリをしなくてはいけないぐらいの怪我なのに、すぐに普通に歩けるようになったこともあり、トレイナーや医者に診てもらって相談した結果、手術もせずにリハビリ。結局、1ヶ月後のインターハイの初戦直前にチーム練習に復帰し、インターハイは普通に戦ったのだという。早川選手いわく、「稀に手術しなくても、前十字帯がなくても大丈夫な人がいるらしいで、僕もそうみたいです」だとか。実際、今もそのまま手術はしていないけれど、問題なく人並み以上に動けて跳んでいて、まったく影響は感じられない。

P1090028s_2 ■ピックアップゲームでは2人が入ったチームは全勝。勝ち残りだったので、ずっとプレーしていた。2人ともハッスルプレーやリバウンド、シュートなどで勝利に貢献していて、コートサイドで見ていたコーチも2人のプレーには嬉しそう。
  後からそんな話をしていたら、早川選手、「でも、あれは日本だったら全部ファウルにとられてましたよね」とのこと。日本でプレーしていたときには、すぐに ファウルを吹かれてしまうので、思い切りプレーできずにいたのだという。そういう意味では、身体を張ったプレーを思い切りできるアメリカは彼には向いてい るのかも。

■おみやげに月刊バスケットボール10月号を持っていったら、谷口選手が大喜び。というのも、そのインターハイ特集号には妹さん(大阪薫英の谷口菜生)が載っていたのだ。

■その谷口選手、小学生の頃から191cmあったため、昔はだいぶあちこちのメディアに取り上げられて、テレビ取材などもされていた。そのときの話になったら、「短パン履いてランドセルしょって、黄色い帽子をかぶって『行ってきます』って出て行くところがテレビで流れていて、今、あれを見るとちょっと恥ずかしいですね」と笑っていた。当時からまわりとは一回り以上サイズが違ったわけで(自分でも「あれは反則っすよね」とも)、その頃からお父さんとアメリカに行くことを話していたのだという。さすがに小学生の頃はその勇気は出なかったけれど、その後も「背が高いから勝てる」と言われるのが嫌で、同じような身長の選手と戦うことができる場としてアメリカでやってみたいという気持ちはずっと持っていたのが、今回の留学に踏み切った一つの理由らしい。

■谷口選手は、バスケ以外のことではどちらかというとノンビリ屋? 勉強は「苦手」だそうで、「バスケほど熱く語れない」とも言っていた。でも、アメリカでバスケを続けるためにはそうも言っていられない。そんな彼を早川選手が「勉強しないとヤバイよ、ダイチ」とハッパかけていて、この2人、なかなかいいコンビ。励ましを受けて谷口選手も、「(勉強も頑張るというのを)口だけにしないように、ここで言って、それを書いてもらえれば」と言っていた。なので、励ましの意味もこめてここに書いてみた(笑)。

* *

 最後に、下の写真はもしかしたら本邦初公開かな? 去年4月のトライアウトのときの写真で、当時、留学したばかりだった並里選手もいっしょに写ってます。この時点では、まだ谷口、早川のどちらか一人だけになる予定だったのだけれど、2人ともいいプレーを見せてコーチに評価されたこともあり、2人揃って合格ということになったのでした。

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