信じる気持ち
お久しぶりです。ツイッターを始めてからブログのほうはご無沙汰してしまっていますが、これからは、もう少しブログの更新も増やしていこうと思いますので、どうぞよろしく!
さて。ツイッターでは、たまにバスケともスポーツとも関係ないこともつぶやくのだけれど、この数日はアメリカの医療保険改革法が成立したことについていくつかつぶやいてました。どんなことをつぶやいていたかはついろぐ(ツイッターの書き込みを日ごとにまとめたサイト)の3/24~3/25を見ていただくとして、その流れでこんなことを書いてます。
(どうしてこんな話になったのかに興味ある方はツイッターかついろぐで確認してくださいね)
http://twitter.com/yokomiyaji より
アメリカは強者が強くい続けられることを望んでいる人が多い社会だということも再確認。長年住んでいて、頭ではわかっていたこととはいえ、こういうことに直面すると、ふだんは目立たないものがはっきり浮き出てくる。
この国(アメリカ)に慈悲の心を説くキリスト教のような宗教が浸透していなかったら、さらに大変なことになっていたかも。というか、強ければOKの国だからこそ、強者も弱者も宗教にすがりたくなるのかもしれない。
そんなことを書いていたら、きょう聞いた地元スポーツラジオ局の番組(正確にはきのう放送になった番組をきょうiPodで聞いたのだけれど)に、マイク・ジェイムスが出演していて、こんなことを言っていた。
(ちなみに、マイク・ジェイムスは3/1にワシントン・ウィザーズとの契約を買い取り、現在はフリーエージェント。自分の基金(Mike James Foundation)の資金とするために、最近、自伝本を出版したらしい。興味ある方は、彼のウェブサイトをチェックしてみてください)
──子供から、『NBAに入るという夢を達成するためにできることで、何が一番重要なことですか?』かと聞かれたら、何と答えますか?
「(少し考えてから)生活の一番に神をもってくることだね」
──それは、それほど大事なこと?
「そう思う。一人でたどり着くことはできないからね。途中で助けてくれるような人がまだいなければ、なおさらだ。この先、人々に見放されることは何度もあるだろうし、できないと思うときも何度もあると思う。神を心に置き、祈り続け、信じ続けることだ。誰からも門前払いをくらうようなときでも、神は決してあなたを見放すことはない。あなたがまず神を信じることさえすれば、彼はあなたの味方であり、努力し続ければトンネルの先には明かりが見えるはずだ」
マイク・ジェイムスはNBA選手の中でも信心深いほうではないかとは思うが、それでも、このような信仰心はNBAでは特に珍しいわけでもない。むしろ、選手たちの多くがたどりつく最終的な境地であるケースが多いと思う。きっと、彼らには子供の頃から生活の中に神がいたからなんだろうと思う。親に連れられて、当時は面倒だと思いながら教会に行っていたのかもしれない。そんな生活をしてきたから、最後は自然と神にたどり着く。そして神を信じることで強い自分を保つことができる。
これは、無神論者(多神論者?)が多く、お払いや祈祷などの儀式以上の宗教をスポーツの世界に持ち込むことなんて考えられない日本とは違うところではないだろうか。
そう考えると、日本の選手たちは神のかわりに何を支えに努力し続けているんだろうか? 自分を信じる気持ち? とはいえ、誰だって弱気になるときはあるはず。もしかしたら、世間に向かって公言しないだけで、信仰を持っている選手は意外といるのだろうか? 特定の宗教の神ではなく、自分なりの「神」を持っている選手は多いような気もするけれど、どうでなんでしょうか?
宗教のことって微妙なトピックなので書くかどうか迷ったのだけれど、ブログだから書けることもあるのかなと思って書いてみました。
ちなみに、私自身は無神論者(「論者」というほど大げさなものではないけれど)。でも、アメリカ人に「信じている神はいない」と言うと驚かれる。そういえば、だいぶ前、仲のいいアメリカ人記者(この人は記者であり、牧師でもあるのだ)とそういう話になって、かなり真剣な表情で「ヨウコ、君も神を信じて、いっしょに天国に行こう」と言われたことがあったっけ(キリスト教では、神を信じない人は地獄に行くとされているので)。
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