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2010年12月の記事

2010年12月31日 (金)

大物新人にドラクエを思い出す!?

 ひとつ前のエントリーでは、やられ役のような書き方をしたブレイク・グリフィンだけれど、実際、彼にはこの先、こういう経験をたくさんしてほしいと思っている。…って、なんだか偉そうな言い方だけど、やられれば、やられるだけ成長できる選手だと期待しているからそう思うのだ。

 少し唐突なことを書くと、個人的にグリフィンを見ているとドラゴンクエストにはまっていた日々を思い出す。なぜって? その理由は少し後で説明する。

 開幕戦から今まで、15試合以上グリフィンのプレーを生で見てきて、何よりも驚くのは彼の成長のスピードだ。開幕戦は、アリーウープばかり狙っていて、ポストでポジションを取ることもほとんどなかったのが、試合を追うにつれてポストアップもするし、ボールを持ってからもスピンムーブからのレイアップ(ダンクと並んで、今の彼の得意技のひとつ)やターンラウンド・ジャンパーなど色々なムーブを見せるようになった。ダブルチーム、トリプルチームで囲まれた時のパスアウトもよくなってきた。辛抱強さも見せるようになったし、試合の中でどうペース配分をすることもできるようになった。少し前には弱点だと思っていたところが、数試合後には修正されているのだ。その成長ぶりを見るのは、胸がスカっとするあの豪快ダンクとともに、今シーズンのグリフィンを見る楽しみのひとつだ。

 まだ新人。もちろんまだ失敗もするし、ミスもたくさんある。グラント・ヒルから比べたら、まだ穴だらけでもある。でも、若い選手の場合はそういった部分も含めて魅力なんだなと、最近、つくづく思うのだ。弱点があるということは、成長する余地があるということ。そして、それは成長の過程を見る楽しみがこの先にあるということ。選手として完成形に近づいているベテラン選手の巧さとはまた別の魅力がある。

 グリフィンでなぜドラゴンクエストを思い出すのかというと、強敵と対戦すればするほど成長を感じるところ。
 ナンバー769号のNBAコラムでも書いたけれど、グリフィンは試合の前のスカウティングだけでなく、対戦が終わった後のビデオでもマッチアップした選手をさらに研究するほど研究熱心な選手だ。その結果、相手がいい選手であればあるほど、グリフィンはその相手の長所を自分の中に取り込んで成長していく。ドラゴンクエストで、相手が強ければ強いほど、その敵を倒した後に自分のキャラが強く成長していくように。

 つくづく、これだけの選手をルーキーシーズンから間近で見れるのは、ライターとしてこれほどの幸せはないと思う。
 長年続けていると、どんなことでも日常になってしまう。贅沢だと怒られることを覚悟で書くと、かつてはとても特別なことだったNBAを取材することも、いつの間にか当たり前に思うようになっていた自分がいた。
 それが、グリフィンを見ていると、レギュラーシーズンでも毎試合ワクワクした頃の気持ちを思い出すのだ。対戦相手がどんなチームであっても、試合を見に行くのが楽しみに思えてくる。そして、そう思える選手にまた出会えたということが嬉しい。
 これで、試合後のコメントが面白かったらさらにいいのだけれど、まぁ、そこまで求めるのは贅沢…というよりも、そうなると彼らしくなくなってしまうのかもしれない。それに朴訥とした話し方でも、そのコメントを長いスパンで聞いていると一本筋が通っていて、なるほどと思わされる。そういう発見もまた楽しい。

* * *

 間もなく終わる2010年。振り返れば、今年もまたすばらしいものを見せてもらった幸せを感じる。
 中でもすばらしかったのが、今まで見てきた中でもトップクラスの好シリーズだったレイカーズ対セルティックスのNBAファイナル。特にあの第7戦は、試合としては両チームともミスが多くてボロボロなのに、どちらも限界まで戦っている熱い気持ちが伝わってきて、見ているだけで感動した。あのシリーズを取材できたことは、マイケル・ジョーダンを間近で取材できたことと並んで、私のこれまでのライター人生で最高に幸せなことだったと思う。
 そして、今、またグリフィンのような、先が楽しみな逸材と巡り合えた幸せをかみ締めつつ、新しい年を迎えようと思う。

 読者の皆さま、取材に応じてくれた選手やコーチの皆さま、そして編集者の方々をはじめ、記事が世の中に出るために力をあわせてくださった方々、今年一年、どうもありがとうございました。

 そして、来たる2011年もどうぞ、よろしくお願いします。

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2010年12月30日 (木)

ベテランの熱い気持

 年が変わる前に、久しぶりにブログでNBAの話題を。
ツイッターでは、頻繁に取材ネタをつぶやいています)
…というのも、最近の試合で色々と思ったことがあったので。

 最近の試合といっても、世間から大注目だった割に残念な内容だったクリスマスゲーム、ヒート@レイカーズの話ではなく(そちらも思うことは多々あったけれど)、その翌日に行われたサンズ@クリッパーズ。

#そういえば、このサンズ対クリッパーズのマッチアップは1年前はクリスマスゲームのひとつだった。ドラフト1位のブレイク・グリフィンが、彼が手本としていたアマレ・スタッドマイヤーと対戦。しかもサンズには兄のテイラー・グリフィンも所属していたというオマケ付き。確かに、注目のマッチアップあり、ファミリー・ストーリーありで、クリスマスゲームにふさわしい対戦になるはずだった。しかし、グリフィンがプレシーズン中に故障して欠場。確か兄グリフィンもinactiveでスーツ姿だった。

 その1年遅れのマッチアップが、今年はクリスマス翌日に実現した。1年遅れたために、アマレはニックスに移籍してしまったし、兄グリフィンもサンズと契約更新してもらえず、今はベルギーでプレーしている。

 でも、いなくなった彼らに代わって実現したマッチアップが、意外なほど面白かった。ブレイク・グリフィン対グラント・ヒル。21才の実質ルーキー対38才のベテラン。フィジカルな肉体派パワーフォワード(208cm/114kg)対かつてジョーダンの後継者とも言われた技巧派スモールフォワード(203cm/102kg)。

 本来のマッチアップではなかったのだが、前半にグリフィンにマッチアップしていたビッグマンたちがやられっぱなしで、後半が始まるときに、ジェントリーHコーチがグラントにグリフィンのマークを指示したのだという(その前にヒルのほうからも、マンツーマンをやるならマークすると志願していたらしい)。

 未だに38才とは思えないプレーを見せてくれているヒルだけど、さすがにグリフィンのパワフルでアスレティックな動きにはついていけないだろうと思ったら、とんでもなかった。まさに“ロックイン・ディフェンス”。グリフィンにぴったりマークし、彼がやりたい動きをほとんどさせなかった。現在、ダブルダブル(得点・リバウンドで2桁)の連続試合記録@クリッパーズを更新中のグリフィンを、あれだけ抑えられるのはすごい。年齢差による身体の衰えはまったく感じられず、逆に経験の差を感じた。

 結局、サンズは103-108で試合には負けたのだけれど、ハーフタイムで12点ビハインドだった試合を、4Q終盤で1点ビハインドまで追い上げたのはヒルのディフェンスがあってこそ。前半で19点・8リバウンドをあげていたグリフィンだが、主にヒルがマークしていた後半はほとんどシュートも打てず、9点・4リバウンド(これも十分に立派だけどね)。二人のファウル数を見ると、後半だけでヒルが5ファウル(前半0)、グリフィンが4ファウル(前半1)。ここからも、どれだけフィジカルな戦いだったかがわかる。

 試合後に、サンズのアルビン・ジェントリーHCに、ヒルがなぜグリフィンを相手にあれだけのディフェンスができるのかを聞いてみた。
「それは、彼が努力することを厭わず、やりたいという気持ちでディフェンスしているからだ。しかも、そのことに誇りを持っている」(ジェントリー)

 さらに、同じ30代後半のスティーブ・ナッシュにも、ヒルのディフェンスについて聞いてみた。
「アンビリーバブルだった。言葉で言い表せないぐらいだ。グラントはこのチームにはとても重要な選手だ。2番であれ、3番であれ、4番であれ、チームが必要とすることをやってくれる。このチームは彼なしにはやっていけない。体重では(グリフィンに)かなり負けているけれど、それでも(ヒルには)戦う気持ち、賢さ、タフさがある」(ナッシュ)

 ヒルのフィジカルなディフェンスに対して、グリフィンもフィジカルなプレーで対応。さらには口でもトラッシュトーク(?)もしていたらしい。そのことについて、ヒルはこう言った。
「トラッシュトークをしてくるのなら、僕もそれには言い返す。コービーやレブロンのようなグレートプレイヤーも相手にするけれど、彼らは滅多にトラッシュトークはしてこない。1年目の選手だったら何も言うべきではない。彼はグレートプレイヤーだし、リスペクトもしているし、彼のことは好きだ(※)。でも競っているときには、僕は誰のことも好きではない。戦いなのだから」(ヒル)

※兄が昨季、サンズでプレーしていたので、ヒルはグリフィンの両親もよく知っているのだ。

 この戦いの姿勢。熱い気持ち。単に経験や技巧だけでなく、それがあるからこそベテランで若いスーパースター選手と互角以上に戦えるのだろうと思うのだった。こういった、気持ちが感じられるプレーを見ることができて、その気持ちを聞くことができると、どれだけ締め切り前がつらくても(苦笑)、この仕事をしていてよかったなぁとつくづく思う。年の締めにふさわしいいいものを見せてもらった。

 次のエントリーではグリフィンについて書きます。

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2010年12月 1日 (水)

日本代表の“新しいカルチャー” (2)

 お久しぶりです。気づけば、ブログもHPも3ヶ月以上、放置してしまってました。どうも、ツイッターと原稿で自分のoutput機能(?)がmaxに達してしまっていたようで…。さらに、前回のポストで(1)とつけてしまったことで、他のことを気軽に投稿しづらくなってしまったり…。と、まぁ、言い訳はこれぐらいにして、本題に。

***

 3ヶ月も間があいてしまっている間に、今年の日本代表の活動(女子の世界選手権、男女のアジア大会)も終了。結果は、目指していた目標には到達できなかったものの、それでも女子の世界選手権での頑張りや、男子のアジア大会での戦いぶり(こちらは映像では見れていないので、話に聞く限りでは)は、先への希望が感じられるものだった。

 何よりもよかったと思うのは、アジア大会が終わった後に、何人かの選手がブログに、このチームで代表として戦ったことを誇りに思う気持ちや、次こそはという気持ちを表していたこと。それの何がいいって、代表チームとして継続していける、積み重ねていけるということが感じられる言葉だから。

 そこで(1)からの続き。ウィスマンHCが「日本代表のカルチャーを作りたい」と言ったあの言葉をもう一度思い出してほしい。ここで言う“カルチャー”とは、伝統、習慣、やり方をひっくるめたような意味合いだと前回、書いた。ということは、この言葉には、今年の活動が終わって全部が終了、来年はまた新たに始めるというのではなく、今後も継続し、今年の経験の上に積み重ねるという意味もこめられているはずだ。

 (1)では海外挑戦を認め、海外から戻ってきた選手を積極的に受け入れるということだけに焦点を置いて書いたたけれど、ウィスマンHCとしてはそれだけを“カルチャー”と呼んでいるわけではないと思う。日本代表としての継続性を持たせることも大事な“カルチャー”。継続していれば、海外挑戦で途中抜けた選手も、戻ってきたときのチームへの適応時間が少なくてすむ。海外挑戦を認めるためには、チームの継続性は不可欠なのだ。

 それでなくても、夏の限られた時間だけしか活動しない代表チームの強化にとって、継続性はとても大事だ。選手の入れ替えをしないという意味ではなく、選手が多少入れ替わっても続くような継続性。

 さらに言うと、一人のヘッドコーチが数年間継続して続けることは大事だけど、本来ならヘッドコーチが変わっても続くものがなくてはいけないと思う。今はまだ、傍目から見ると、この日本代表の“カルチャー”はウィスマンHCが作り出しているもののようだ。おそらく、今コーチが代わったら、“カルチャー”はなくなり、また0から作り直すことになってしまう。できることなら、ウィスマンがヘッドコーチでいる間に、ウィスマン・ジャパンのカルチャーではなく、真の意味での日本代表のカルチャーを作り出し、次に繋げてほしいと思う。組織の面でも、人の気持ちの面でも。

 実は、こういった流れはアメリカ代表(男子)も最近経験したことだ。インディアナポリス世界選手権(2002)やアテネ五輪(2004)でチームが崩壊し、結果も出せず、代表に入ることが選手の誇りではなくなった時期があった。それを作り直したのが、2005年に米代表の責任者となったジェリー・コランジェロだった。日本で行われた世界選手権(2006)では目標(優勝)には達さなかったが、それでも、その経験が北京五輪(2008)やトルコ世界選手権(2010)の優勝の土台となった。

 代表の継続性には、若手世代への継承も含まれる。最後に、8月の取材のときにウィスマンHCが言っていた言葉を、もうひとつ紹介しておく。

「もうひとつ、個人的な目標として──これは私にとっては先ほどの目標と同じぐらい大事な目標なのですが、それは、このグループをアジアで競えるところまで育てるだけでなく、若い選手たち、次の世代の選手たちもまたそういった出場権を競えるようになること。1つのグループの選手たちが、年を取ってからも、彼らにだけ責任を負わせるのではなく、日本が、私が代表のコーチを退いたずっと後まで、競争力を持ったチームとなるようにそういったプログラムを作っていきたいと思っています」

(ここで、ウィスマンHCが「先ほどの目標」と言っているのは、「オリンピックまたは世界選手権の出場権を取ること」。これについては小永吉陽子さんがLive Basketball!で詳しく書いているので、そちらを参照)

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