一歩ずつ
10/20のマカビ・エレクトラ・テルアビブ@LAクリッパーズの試合後、ドロン・パーキンズに話を聞いた。2006年7月、ロングビーチで行われたサマーリーグのときに話を聞いて以来、3年ぶり、2回目だ。「サマーリーグのときに取材させてもらった…」と言うと、すぐに、「あぁ、あのときの」と思い出してくれた。
2005-06シーズンにJBLのトヨタ・アルバルクでプレーしたパーキンズは、そのシーズンのアルバルク優勝に大きく貢献、リーグMVPに選ばれた。日本にいたのは1シーズンだけだったとは言うものの、その短い間に日本のファンに強い印象を残した、と聞いている(私自身はトヨタでのドロンを取材したことはないので、人から聞いた評価です)。
そしてドロンにとってもまた、次の舞台に進むための大事なシーズンとなった。JBLで圧倒的な活躍を見せたので忘れがちだけれど、日本に来たときのドロンは大学(サンタクララ大)を出たばかり、つまりプロ1年目のシーズンだったのだ。
「プロになって最初の年に日本でスタートを切れたことは僕にとってすばらしい状況だった。あれから4年たって、1年目というのがどれだけ大変なのかがわかってきたけれど、日本では他ではないぐらい面倒を見てもらったのでやりやすかった。あのシーズンがあったから、今の成功もあるのだと思う」
トヨタを離れたその夏にLAレイカーズの一員としてサマーリーグに出場するも、NBAロスター入りはならず、2006-07シーズンはドイツのEWEバスケッツ・オルデンバーグ、翌2007-08シーズンはベルギーのユーフォニー・ブリー、そして2008-09シーズンはイスラエルのマカビ・ハイファ・ヒートと、毎年チームを移り渡ってプレーしてきた。JBLでのMVPに続き、ベルギーでも、イスラエルでもMVPを取っているのだから、クビになったのではなく、自分で少しでもキャリアアップし、さらに活躍できる場を求めた結果の渡り鳥だったのだろう。今シーズンはイスラエル国内で移籍、ユーロリーグにも参戦していて、ヨーロッパのトップチームのひとつ、マカビ・エレクトラ・テルアビブに移った。
「baby step(小さな一歩)だけれど、少しずつ前に進んでいる。僕はこれまでずっと戦ってきたんだ。アラスカの小さい高校からジュニアカレッジに行き、そこから小さい大学(WCCのサンタクララ大。スティーブ・ナッシュの後輩)に行った。小さいステップだけど、少しずつ前に進んでいる。楽しんでやれているし、恵まれていると思う。今シーズンは初めてユーロリーグでプレーできるので、それが楽しみ」
クリッパーズ戦では、33分30秒出場し、16点(FG 6/11, FT 4/6)、10アシスト、12リバウンド、5スティールと大活躍。
「バロン・デイビスを相手にプレーできるなんて、滅多にできることじゃないから、それが一番嬉しかった」とのこと。
NBAの人たちに、自分もこのレベルでプレーできることを証明したいという気持ちもあったのかと聞くと、「3年ぐらい前の若いときだったらそう考えたかもしれないけれど、今はもう、そうは考えなくなった」ときっぱり否定。NBAに入りたいというよりは、少しでも自分にとっていい環境で、力を発揮できるチーム、リーグでプレーしたいとの気持ちが強いようだ。
「(NBA入りは)いいタイミングで、いい状況で実現するなら入りたいとは思うけれど、今はこの状況に満足している。海外のトップチームの一つでプレーできるのだから、NBA以外で考えればこれ以上の状況はない。いい環境だし楽しい。控えから出てきて、チームにエネルギーを与えるという、とてもやりがいがある役割を与えられている。
もちろん自分を証明したいし、何ができるかを見せたいという気持ちはあるし、NBAに入れたらすばらしいと思うけれど、NBAだったら最初からまた証明しなくてはいけないし、それがいい状況になるかどうかはわからないからね」
ちなみに、アルバルク時代のチームメイトのうち、チャールズ・オバノンや高橋マイケルとは今もまだ時々連絡を取っていて、いっしょにNBAのファンタジー・バスケットボールをやっているらしい。トヨタ時代からやっていて、その時は2度優勝したものの、昨シーズンはインターネットにあまり繋がなかったこともあって、成績も悪く、誰が優勝したのかすら知らないのだとか。
「でも、今年はまた復活する。優勝するよ」
5分ほど、そんな話を聞いて、「じゃ、またそのうち、どこかで」と言って別れた。次に会うのは、どこの街、どのリーグ、どの会場になるだろうか。
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