カテゴリー「日本のバスケ」の記事

2010年12月 1日 (水)

日本代表の“新しいカルチャー” (2)

 お久しぶりです。気づけば、ブログもHPも3ヶ月以上、放置してしまってました。どうも、ツイッターと原稿で自分のoutput機能(?)がmaxに達してしまっていたようで…。さらに、前回のポストで(1)とつけてしまったことで、他のことを気軽に投稿しづらくなってしまったり…。と、まぁ、言い訳はこれぐらいにして、本題に。

***

 3ヶ月も間があいてしまっている間に、今年の日本代表の活動(女子の世界選手権、男女のアジア大会)も終了。結果は、目指していた目標には到達できなかったものの、それでも女子の世界選手権での頑張りや、男子のアジア大会での戦いぶり(こちらは映像では見れていないので、話に聞く限りでは)は、先への希望が感じられるものだった。

 何よりもよかったと思うのは、アジア大会が終わった後に、何人かの選手がブログに、このチームで代表として戦ったことを誇りに思う気持ちや、次こそはという気持ちを表していたこと。それの何がいいって、代表チームとして継続していける、積み重ねていけるということが感じられる言葉だから。

 そこで(1)からの続き。ウィスマンHCが「日本代表のカルチャーを作りたい」と言ったあの言葉をもう一度思い出してほしい。ここで言う“カルチャー”とは、伝統、習慣、やり方をひっくるめたような意味合いだと前回、書いた。ということは、この言葉には、今年の活動が終わって全部が終了、来年はまた新たに始めるというのではなく、今後も継続し、今年の経験の上に積み重ねるという意味もこめられているはずだ。

 (1)では海外挑戦を認め、海外から戻ってきた選手を積極的に受け入れるということだけに焦点を置いて書いたたけれど、ウィスマンHCとしてはそれだけを“カルチャー”と呼んでいるわけではないと思う。日本代表としての継続性を持たせることも大事な“カルチャー”。継続していれば、海外挑戦で途中抜けた選手も、戻ってきたときのチームへの適応時間が少なくてすむ。海外挑戦を認めるためには、チームの継続性は不可欠なのだ。

 それでなくても、夏の限られた時間だけしか活動しない代表チームの強化にとって、継続性はとても大事だ。選手の入れ替えをしないという意味ではなく、選手が多少入れ替わっても続くような継続性。

 さらに言うと、一人のヘッドコーチが数年間継続して続けることは大事だけど、本来ならヘッドコーチが変わっても続くものがなくてはいけないと思う。今はまだ、傍目から見ると、この日本代表の“カルチャー”はウィスマンHCが作り出しているもののようだ。おそらく、今コーチが代わったら、“カルチャー”はなくなり、また0から作り直すことになってしまう。できることなら、ウィスマンがヘッドコーチでいる間に、ウィスマン・ジャパンのカルチャーではなく、真の意味での日本代表のカルチャーを作り出し、次に繋げてほしいと思う。組織の面でも、人の気持ちの面でも。

 実は、こういった流れはアメリカ代表(男子)も最近経験したことだ。インディアナポリス世界選手権(2002)やアテネ五輪(2004)でチームが崩壊し、結果も出せず、代表に入ることが選手の誇りではなくなった時期があった。それを作り直したのが、2005年に米代表の責任者となったジェリー・コランジェロだった。日本で行われた世界選手権(2006)では目標(優勝)には達さなかったが、それでも、その経験が北京五輪(2008)やトルコ世界選手権(2010)の優勝の土台となった。

 代表の継続性には、若手世代への継承も含まれる。最後に、8月の取材のときにウィスマンHCが言っていた言葉を、もうひとつ紹介しておく。

「もうひとつ、個人的な目標として──これは私にとっては先ほどの目標と同じぐらい大事な目標なのですが、それは、このグループをアジアで競えるところまで育てるだけでなく、若い選手たち、次の世代の選手たちもまたそういった出場権を競えるようになること。1つのグループの選手たちが、年を取ってからも、彼らにだけ責任を負わせるのではなく、日本が、私が代表のコーチを退いたずっと後まで、競争力を持ったチームとなるようにそういったプログラムを作っていきたいと思っています」

(ここで、ウィスマンHCが「先ほどの目標」と言っているのは、「オリンピックまたは世界選手権の出場権を取ること」。これについては小永吉陽子さんがLive Basketball!で詳しく書いているので、そちらを参照)

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2010年8月20日 (金)

日本代表の“新しいカルチャー” (1)

 先日の一時帰国中に、スタンコビッチカップ出発直前の男子日本代表の公開練習&記者会見の取材に行ってきた。記者会見の後、トム・ウィスマン・ヘッドコーチの囲み取材があったのだが、その中で何度か"新しいカルチャー (new culture)"という言葉が出てきた。cultureという言葉から受けるイメージは、国や土地の文化を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。でも、実はもっと狭い範囲、たとえば学校だったり、チームにもそれぞれの"culture"というものがある。伝統、習慣、やり方、そういったものを全部ひっくるめたような意味だと考えればいいのではないかと思う。

 …と、一見、小難しい言葉の定義から始めてみたけれど、難しいことはこれぐらいにして、早速本題に入る。ウィスマンHコーチが口にした日本代表の「新しいカルチャー」とは、いったい何なのだろうか。
 わかりやすく言うと、代表に選ばれるようなトッププレイヤーたちが、夏のたびにNBAサマーリーグや海外でのトレーニングと代表活動の二者択一を迫られることがないやり方。どっちかを選んだら、どちらかが消えるのではなく、両方を選べるようなやり方。これを代表チームの視点から見ると、成長したいという気持ちを持っているトッププレイヤーたちを代表チームから除外せず、何とか代表チームに組み込んでいく方法を探すやり方。

 ウィスマンHコーチの言葉を引用しよう。
「これは日本にとっては『新しいカルチャー』ですが他国の代表チームにとっては『新しいカルチャー』ではありません。他国ではしばらく前から、国のトッププレイヤーが他のリーグに入る(ことによって代表活動が制限される)という問題を抱えてきました。日本も最近になって、そういった問題に直面するようになりました。これは日本のバスケットボールにとってはいいことです。そういったレベルで才能を認められる選手がいるということですから。
 私たちとしては、そういった選手たちをサポートしていきたいと思っています。彼らを代表チームから除外するのではなく、彼らを入れたチームにしていきたい。これまでは代表活動に全面的に専念することを約束しなくてはいけなかったため、代表に入るためにはそういった(海外での)チャンスをパスしなくてはいけなかったわけです。しかし、その道を進んでいくと、国のトップクラスの選手を(代表チームから)失い続けることになります。ですから、私たちとしては彼らをサポートし、彼らにはそういった経験をして上達したスキルを日本のバスケットボールに持ち帰ってもらいたいと思っています」
「そうすることによって、代表チームのコーチの仕事はより大変になります。しかし、彼らを入れないというのはクレイジーなことだと思います。成功できるような最善のチャンスを作り出すためには、最高の選手たちを入れる必要があるのですから」

 実際に、今月、スタンコビッチカップに出発する前のミニ合宿中に、ウィスマンHコーチは、アメリカでのトレーニングから戻ってきた竹内譲次選手、そしてそれとは別に、故障で離脱していた伊藤俊亮選手と実際に会って話す機会を設け、スタンコビッチカップの代表メンバーには入らなかった彼らだが、将来の代表構想の中に入っているという話をしたのだという。

 そのことに関しても、ウィスマンHコーチの言葉を引用する。
「譲次は会ってみたら、外から見てわかるぐらい、身体がたくましくなっていました。ナショナルチームの新しいカルチャーにおいては、そうやって個々の力をつけ、よりいい選手になるために努力をしたいという選手に対してはサポートをしていきたいと思っています。そして、そういったサポートに対して、彼らのような鍵となる選手たちからは将来に向けてのコミットメント(代表活動に関わるという約束)を求めることになります。そのことを彼らにも説明し、彼らも理解してくれました。将来的には、最高の選手たちによる最高のチームを作り上げていきたいと思います」

 ウィスマンHコーチは、竹内譲次、伊藤俊亮のほかにも、柏木真介、岡田優介、大学生から代表に参加した金丸晃輔、満原優樹の名前もあげ、彼らをはじめとする選手たちも、まだ将来に向けての代表構想から外れたわけではないと強調していた。

「彼らもまだ代表の長期的な構想の中に入っています。今回代表に入った選手たちも、将来的には代表の座をかけての競争があることを理解しています。(代表チームは)そうであるべきだと思いますし、そうである必要があると感じています」(ウィスマンHコーチ)

 きょうはここまでにしておきます。次のブログではこのことに対して、もう少し突っ込んで考えてみたいと思います。

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2009年8月10日 (月)

天津レポート(2)

 天津でJ-Sportsレポーターとしてアジア選手権を取材中の吉田暁央アナウンサーから、天津ABCレポート第二弾が届きました。吉田さん、お忙しいところ、ありがとうございます! ちなみに、吉田さんいわく、「慣れると天津は住みやすいところです。物価は安いし、食べ物はおいしい」だそうです。

* * *

吉田アナ・天津レポート第二段

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 アジアバスケもいよいよ2次リーグに突入。日本はもうひとつ波に乗れないまま2次リーグ最初の相手、イランにも負けてしましました。相手の高さに圧倒されたのかもしれませんが…。あと2試合は絶対負けられない試合になりました。

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 前回は観客のいない天津体育館の写真を送りましたが、中国戦ともなると会場内は大声援に包まれます。改めて中国でのバケットボール人気の凄さに驚かされます。

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 中国美人も顔に国旗のシールを貼って応援です。誰の写真を撮っているんでしょうか? 場内には美人が多くついつい試合を追うのを忘れてしまいそうです(笑)。

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 さて、今回のABCは2つの会場で開催されています。
第2会場は南開大学体育館。この大学は周恩来さんの出身校だそうです。

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 2週目からはこの会場で13~16位の決定トーナメントが行われています。
天津体育館では19時から中国戦が行われますがあえて南開大学に行ってみました。カードはスリランカ対ウズベキスタン戦。観客はまばらでスタッフや警備の人たちの姿かめだちます。しかしコートでは選手たちが熱戦を繰り広げていました。

* * *

 吉田さん、ありがとうございました。日本の次の2試合の相手はクウェートと台湾。2試合とも勝ってやっと決勝ラウンド進出の可能性が出てくる、という厳しい状況なので、なんとしてでも2連勝で希望を繋いでほしいものです。

 ちなみに、私もFIBA TVでイラン戦を見ました。たまに映像が止まるのと、解説は一切なしなのが物足りないですが、まぁ、年間30ドルですから、あまり文句も言えません。
 この試合で見た日本代表は、特に前半の動きは1次ラウンドよりもよくなってはいた(パスを出す先を探しているときでもゴールを狙っている感じで、それそれ、と思ってました)と思うのですが、20点差~30点差に開かれたあたりでやや集中力が切れてしまったという印象。あと気になったのは、個々のプレーがあまりに素直すぎるところ。もうちょっと嫌らしいプレーをしてもいいと思うんだけれどな~。

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2009年8月 8日 (土)

タイミング

P1070005s  中川和之が、JBLの三菱電機ダイアモンドドルフィンズ入りを発表した。彼のブログによると、Dリーグからもドラフト候補選手として契約のオファーがあったというが、それを断っての三菱入りなのだという。それを聞いて、今まで何年もかけてアメリカ挑戦をしながら、なぜDリーグのドラフト候補に入るチャンスをみすみす逃すのかと思った人もいることだろう。

 中川は去年の夏から秋にかけて、「今年がアメリカ挑戦の最後。ここでDリーグにも入れなければアメリカ挑戦は諦める」と言っていた。ところが、去年は夏前の故障の影響もあってDリーグ入りはならず。秋のチームトライアウトではかなりいいところまで行ったらしいが、それでも結局はDリーグには入れず、bjリーグでプレーした。
 そして今年6月、今度はDリーグに入るためではなく、単に選手としての実力を磨くためにDリーグ・プレドラフトキャンプに参加。その結果、去年は得られなかったドラフト候補としての契約オファーを得たわけなのだから皮肉なものだ。

 それにしても、たとえ去年の時点でアメリカ挑戦は諦めたと宣言していたにしても、Dリーグからのオファーがあったら受ければいいじゃないか、なぜ去年は目指していたものを今年は断るのか、と思う人もいるだろう。

 実は、今年6月、プレドラフトキャンプを見に行ったときに、中川に「もし、これでDリーグからオファーがあったらどうするのか?」と聞いてみた。去年よりコンディションがよく、いいプレーも見せていたので、まったく可能性がない話ではないと思ったのだ。しかしその時点で中川は、きっぱりと、「それでも今回は受けるつもりはない」と言っていた。
 それには理由があった。労働ビザだ。去年までの中川は、以前取った選手としての労働ビザを持っていた。その期限が切れる前にDリーグに入りたい、というのが、去年「最後の挑戦」と口にしていた大きな理由だったのだ。
 もちろん、Dリーグのロスター入りすればDリーグで労働ビザを取ってもらえる可能性はある。実際、田臥もDリーグの選手として労働ビザを取ったこともあった。とはいえ、あのときの田臥はすでにNBA経験があり、Dリーグでも経験がある選手だ。今の中川とは立場も違う。Dリーグ経験もなく、Dリーグチームのロスターに入るかどうか、ぎりぎりの線上にあるぐらいの選手である彼に対して、Dリーグが時間と経費をかけて労働ビザの手続きをしてくれるのか。手続きをしてくれたとして、申請してから許可が下りるまでにどれぐらいの日数がかかるのか。そういったことをもろもろ考えると、あまり現実的な選択肢ではない、そう中川は判断した。
 これが、Dリーグではなく、NBA入りのチャンスだったらまた考えも違っただろう。中川にとってのアメリカ挑戦は最終目標は常にNBAであり、DリーグもNBAへの入り口として選んだ選択肢だったのだ。
 言ってみれば、タイミングがほんの少しだけずれてしまっただけ、とも言える。それでも、ここできっぱり諦められるのは、ここまで彼が本気で挑戦してきたからなのだろう。彼の選択をもどかしく思う人もいるかもしれない。「そんな細かいことはあとから考えればいいから、とりあえずチャンスがあるならやってみればいいのに」と思う人もいるかもしれない。しかし、何年もアメリカでやってきた彼だからわかる現実もあるのだ。
 同じようなことは、コロンビアを出てレラカムイに入った松井啓十郎にも言える。ノースカロライナ大ではなく、コロンビア大を選んだときの選択(このあたりのことを含めて、彼の大学4年間については月刊バスケットボール10月号に記事を書いてます)、そしてコロンビアでの4年を終えた後にレラカムイに入るという選択。アメリカで、高校時代にトップのレベルも経験したからこそ、彼はそういう選択をしたのだと思う。
 遠くから見ていると、目標は近くに見えるように錯覚することがあるが、実際に中に入って経験する選手たちは、その距離を身をもって実感しているのだ。

 そういえば、NBAサマーリーグの頃、ラスベガスで、とある人と日本人選手がNBAに入る可能性について話したことがある。この夏も、何人かの日本人選手たちがNBA挑戦を口にし、実際に行動に移していたけれど、現実的にどれぐらいの可能性があるのか。個人的な意見だが、正直なところ今の時点ではどの選手の可能性も10%もないと思っている。数字として出してもあまり意味がないと思いながらあえて書いてしまうと、現実的に考えると、今挑戦している日本のトッププレイヤーたちでも1%~5%ぐらいではないかとすら思う。
 だから、その現実を感じて別の道を選んでも、それはそれで悪い選択とは私には言えない。ただし、常に上達したい、成長したいという気持ちだけはどこに行っても持ち続けてほしいと思うけれど。

 最後にひとつ記しておきたいのは、これは、可能性が低いとわかっていながら(あるいはもしかしたら現実よりも可能性が高いと思い込んで)NBAに挑戦する選手たちに「現実を見たほうがいい」と言うつもりで書いたわけではないということ。それだけ厳しい中で、厳しいとわかりながら挑戦を続ける選手たちには敬意を感じるし、メディアという立場を離れて、応援したいとも思う。それに、それぐらい強い気持ちがなければ、1%を100%にすることはできないのだ。
 そういえば、前に、知り合いのNBAのスカウトが言っていた。「NBAに入るは別に世の中の人たち全員に認めてもらう必要はない。1人のヘッドコーチ、1人のGMが認めてくれればいい」と。

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2009年8月 6日 (木)

天津レポート

 日本代表を追いかけて天津まで来てしまいました…と言いたいところですが、残念ながら私はLAで原稿書きの毎日です。ただし、天津にはこのサイトの特派員(?)を派遣しました。…ではなくて、J-Sportsのレポーターとして、現地でアジア選手権を取材中の吉田暁央アナウンサーが、写真とレポートを送ってくれました。吉田さんの了解を得た上で、私の独断で編集して掲載します。茶色文字の( )部分は私の感想です。

*****

A

8月4日(火)
 日本代表は北京から陸路天津に到着。夜には市内の体育館で1時間ほど軽く練習を行う。しかし、いきなり、カタールが練習時間をオーバーして待たされた挙句、帰りのバス迎えにこなくてなかなか帰れない羽目に!

 パス(選手証、スタッフ証)の発行でもトラブル続き。追加召集された正中選手のパスが発行されていなかったり(これはすぐに解決)、トレーナーなど数名のスタッフ用パスはなかなか準備されず、チーム関係者は対応に追われる2日間であった。選手たちをしっかりサポートしたいのは山々であるが、その体制を作るまでにかなりの時間と精力を使わなくてはならなかった。
(移動、異国で疲れているところに、これはきつそうです。特にパスがないと何もできないですから、スタッフの方も苦労したことでしょう)

8月5日(水)
 朝8時から練習。時間は早いものの、日本チームの状態は上々のようだ。
ただし桜井選手は腰が悪く(ジョーンズカップで打った腰ですね)、練習は別メニュー。軽いストレッチだけだったとのこと。

8月6日(木)
A_2  写真は韓国戦の試合前の練習風景(試合前なのに観客がほとんどいない! 大会前日の試合の風景かと思いました)。反対サイドには韓国の応援が大挙して押しかけて、まるで韓国のホームコート状態でした。
(FIBA TVの映像でも、韓国チームのファンの応援風景が映ってました。数は少ないものの、日本からも日の丸の旗を持って応援にかけつけたファンがいたそうで、選手たちも嬉しかったことでしょう)

 追加召集の正中選手はパスは出たものの、公式に発表されたロースターにも載っていなくて、どうやら選手登録の手続きができていなかったらしい(そのため、吉田アナは私が紹介した台湾記者から「日本は11人で戦うのか」と聞かれたとか)。韓国戦では試合に出られず、スタッフとしてベンチ入りしています。今後出られるように交渉中だそうです。折茂選手は体調不良(お腹の具合が悪いとか)で韓国戦はベンチ入りせずでした。

*****

 韓国戦の結果は…皆さんご存知だと思うのでパス。以上、吉田アナの天津レポートでした。果たして、この天津レポートの第二弾があるかどうかは未定。吉田さんが元気だったら送ってくれるかも? とはいえ、お仕事で忙しいでしょうから、期待せずに待つことにしましょう。
 また、これは私の記事ではないので、今回はBasketball-zineには掲載せず、ココログだけの掲載にします。

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2009年7月14日 (火)

日本代表対Dリーグ選抜②

日本代表 64 - Dリーグ選抜 92
     1Q 16 - 27
     2Q 20 - 21
     3Q 10 - 25
     4Q 18 - 19  

 日本代表はこれでラスベガスでの全日程を終了。きょう午後は自由時間、そして明日、アメリカを発つ予定です。私は灼熱のラスベガスに残り、引き続きサマーリーグ取材です。

【以下、7/16追加分】
 遅くなりました。日本代表はすでに日本に到着して、台湾に出発するところでしょうか。とりあえずDリーグ選抜との第2戦について、また思いつくままに。この他にも、日本代表を3試合見て、取材させてもらい、個人的に思ったこと、感じたことなどがあったので、後日、別記事でまとめをアップする予定。

■日本代表得点内訳
※試合中のメモを元にまとめていますが、つけ間違いなど多少の誤差はあるかもしれないので、参考スタッツということで。

 竹内(公)17点
 石崎 11点
 五十嵐  8点
 岡田  7点
 桜井  6点
 折茂  5点
 山田  4点
 伊藤  4点
 網野  2点

P1070317s ■日本代表は、結局アメリカ遠征で3連敗。でも、この日の最終戦では2Qと4Qを1点差に抑えることができ、点差も3試合で最小の28点。Dリーグ選抜が3日連続試合で疲れていたということもあるかもしれないけれど、それでも簡単にやられないQを作ることができたのは収穫。4QにはDリーグ選抜に1分間で2回続けてタイムアウトを取らせる場面もあった。倉石HCも3Q、引き離され始めたときに「ここで諦めちゃだめなんだよ」と何度も言っていただけに、この踏ん張りには「少し収穫」と言っていた。ただし、「先手を取られて、受けにたってから頑張ってもしょうがなくて、仕掛けてから頑張らなきゃいけないんだけどね」とも。確かに1Qの出だしで8-2のリードを取った後でこの踏ん張りが出来ていれば、終盤まで競る展開での試合ができたはず。

■踏ん張れたひとつの理由は日本のゾーン・ディフェンスやオールコート・プレスでDリーグ選抜の攻撃の勢いを抑えられたこと。このゾーンはまだ練習して1週間とのことなので、この先さらによくなるはず。ゾーンといえば、日本代表は東アジア予選でゾーン相手の攻撃で苦労したという話を聞いているが、アメリカでの3連戦でのホーネッツ、Dリーグ選抜のディフェンスはマンツーマンのみだったので、その面での練習はできずなかった。

P1070315s ■もうひとつ、この試合でよかったことは五十嵐選手が少しリズムを取り戻した感じだったこと。私が前回、日本代表の試合を見たのは3年前の世界選手権のときだっただけに、その時に見た彼の持ち味が、ホーネッツ戦、Dリーグ選抜との1戦目で出せていなくて気になっていた。特に、田臥選手が抜け、柏木選手も足の調子がおもわしくなく、石崎選手は経験が浅いとなると、今後五十嵐選手の活躍が必要になってくるだけに、彼の復活は日本代表にとってはグッドニュース。倉石HCも、彼の復活が必要だと思ったのか、この試合では彼のプレータイムを少し長くしたといていた。
 五十嵐選手にも13日の練習後に話を聞いたのだけど、彼自身も「ここに来て、何か思い出せるような、そういうプレーが出せたらいいと思っている」と言っていた。最終戦後には話しを聞く機会がなかったから本人の感想は聞けていないけれど、最終戦はそんなきっかけになったのではないかと思う。

■最終戦は、ローテーションとしてもいろいろ試していた。それまでの2試合ではポジションごとに、シューティングガード(2番)はシューティングガード、スモールフォワード(3番)はスモールフォワードと交代するだけだったのが、この試合ではサイズをあげるために2番に桜井、3番に網野というラインナップも試していた。

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2009年7月12日 (日)

日本代表対Dリーグ選抜①

 Dリーグ選抜との1試合目。2Q残り5分49秒、桜井選手がトランジションから、ボールを背中に回すフェイクでディフェンスをかわしてドライブインしてレイアップ。これが決まった時点で28対30と2点差。もしかしたら少しは競ったいい勝負ができるかも、と期待したのもつかの間、その後シュートミスやターンオーバーから相手の速攻を決められて点差があっという間に開いて前半が終わったときには35対49。11日の練習でもトランジション・ディフェンスの練習はしていたのだけど、まだ相手の切り替えしの速さに対応できていないようだ。3Q、4Qも少しずつ点差を広げられて74-105と31点差の敗戦。

以下、思いつくままに…。

■Dリーグ選抜(D-League Select)は、NBAチームに混じってサマーリーグに参加。先日のDリーグ・プレドラフトキャンプの日に、プレドラフトキャンプが終わった後、エリートキャンプとしてDリーグで活躍していた20数名を呼んでキャンプ、その中から選んだ選抜チーム。ホーネッツのダレン・コリソンやマーカス・ソーントンほど能力が高い選手はいなくて、NBAのレギュラーシーズンを経験しているのも1人(トレイ・ジョンソン)のみだが、平均的な能力で比べたらホーネッツのサマーリーグ・チームともそれほど変わりはないかも。倉石HCは「こっち(Dリーグ選抜)のほうが強いんじゃないか」とまで言っていた。特にビッグマンはそうかもしれない。Dリーグ選抜のサマーリーグでの本番は7/13からなので、それを見れば実力もはっきりわかるはず。

■当初午後1時開始の予定が、キングスのサマーリーグ・チームの練習とダブルブッキングで、急きょ3時からに変更。あいた2時間の間、代表チームは上のフロアで行われているサマーリーグの試合を観戦。偶然、2日前に対戦したホーネッツの試合だったので、余計興味深かったのではないでしょうか(ちなみに、ホーネッツは日本代表戦では大事をとって出ていなかったジュリアン・ライトも出ていたけれど、スパーズに6点差で負け)。

■10日のホーネッツ戦と11日の練習で、左足の関節炎をまた痛めてしまった柏木。大事を取ってこの試合は休養。見ているとウズウズするようだけど、8月にベストコンディションに持っていくために我慢、我慢。

■その柏木のかわりに先発ポイントガードを務めたのが石崎。倉石HCによると、五十嵐ではなく経験が浅い石崎を先発に使ったのは、石崎を控えに回すと起用しどころがなくなってしまうから、らしい。実際、石崎はチーム全体のコントロールに苦労している様子。本人いわく「相手がどうこうより、まだ自分を代表のチームの中にフィットさせられていなのが一番の問題。せっかくチャンスをもらったのに生かせなかったのが悔しい」とのこと。

■竹内(公)は40分出ずっぱり。サイズの大きなアメリカ人チームを相手にしたときに、彼がいないときに得点の起点となれる選手がいないので、どうしてもコート上で彼の存在が必要だったということらしい。「本当は休ませなくてはいけないんだけど、自分のわがままで全部出させてもらった」と倉石HC。アジア大会では竹内(譲)選手が戻ってくる予定なので、2人でインサイドの得点ができるという計算。

■ゴールデンステイト・ウォリアーズのドン・ネルソンHCが試合を見に来ていた。上の階のTウルヴス対ロケッツをパスして、この試合を見に来たのはどうしてかと思って聞いたところ、「去年、あのセンターがうちのワークアウトに来たからね」とのこと。それは公輔のほうではなく、双子の弟の譲次なんですけれど…と告げると驚いていた。とはいえ、試合を見に来たからといって竹内兄弟のどちらかをウォリアーズに入れたいといった意図ではないようで、NBAでプレーする可能性についても「今、何歳? 24? うーん、どうかな。あれで19歳から21歳ぐらいならまだ伸びると思えるけれど、24、25ぐらいになるとあまり成長は期待できないから難しいと思う」と、正直なお答え。まぁ、この手の質問をするとリップサービスで返してくる人が多い中で、正直な返答はありがたいことです。と同時に、竹内兄弟にはそんな言葉は跳ね除けるぐらいの成長をこの先見せてほしい。

■最初に速報で書いたときに、人にお願いしてつけてもらっていた記録をもとに各選手の得点をアップしたのだけど、合計得点が4点足りなかったため、自分のメモを元に数えなおしたら、微妙~に違う。さらにJBAのサイトに載っている得点とも、また少し違う。どれが正しいのかわからないのだけど、参考資料ということで、私の記録をもとに起こした得点だけ書いておきます。今回、練習試合ということで、正式なボックススコアは出ないので、それぞれ独自記録なもので…。本当はリバウンドやアシストなどもつけたいのだけど、プレーのメモなども取ったり、合間で写真も、と思うとそこまで余裕がありません(JBAではリバウンド、アシストもつけているようですね。サイトに載っているのはトップ3人だけですが…)。次の試合では相手の得点をつけるのをやめようかな。

 7/12 vs D League Select第1戦
  竹内(公)19点
  網野   12点
  折茂   10点
  伊藤    8点
  石崎    7点
  桜井    6点
  五十嵐   4点
  岡田    4点
  山田    2点
  不明(メモ取っている間に見落としました。すみません) 2点

ホーネッツ戦での得点もメモをもとに計算しましたので、これはホーネッツ戦の記事のほうに追記しておきます。

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2009年7月10日 (金)

日本代表対ホーネッツ(SLT)

P1070168s  日本代表とホーネッツのサマーリーグチームの練習試合。10分Q×5(1回はオマケ)、得点は日本83-ホーネッツ139140(テーブルオフィシャルの記録間違いだったのか、試合後にホーネッツに1点が追加になりました)。まさに完敗ですが、完敗だったからこそ見えてきた課題もあるのではないかと思います。11人(竹内譲次選手はまだ合流していないので)が全員出場。倉石HCいわく、これからジョーンズカップにかけて、ローテーションやロスターの組み合わせをいろいろ試してアジア選手権に向けて固めてきたいとのこと。

P1070173s_2  個人的に、この試合一番のマッチアップだったのはこちら。ホーネッツが6月のドラフトで1巡目指名したUCLA出身のダレン・コリソンと、先発PGで出た柏木選手。コリソンのすばやいプレーや長い手に悩まされる場面もあった一方で、柏木選手がうまく身体をつかってコリソンの背中側にまわりこむような巧いプレーもあり、手ごたえを感じた面もあった模様。

 ちなみに、試合をしたコートは地下にある練習コート。今回、日本代表の3試合はサマーリーグの公式試合ではなく、言ってみれば練習試合のような扱いのようです。照明も暗くてカメラマン泣かせで、私のカメラと腕では上の写真がせいいっぱい。上のメインコートで行われているサマーリーグとはまったく別世界でした。

【7/13追記】
各選手の得点を、私が試合中につけていたノートをもとに計算してみました。見落とした得点があるほか、見間違いもあるかもしれないので、参考程度に。

 竹内(公) 22点
 山田    13点
 柏木    11点
 伊藤     9点
 桜井     7点
 岡田     6点
 折茂     6点
 石崎     3点
 五十嵐   2点
 網野     2点
 不明(見落とし) 2点

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2008年10月27日 (月)

ブレックス取材こぼれ話

 すっかり間があいてしまいました。早いもので、明日はNBA開幕。完全にNBAモードになる前にリンク栃木ブレックスの話の続きとして、Number714号掲載の記事では書ききれなかったことを、書き留めておきます。

■田臥の勧誘(加藤HCと田臥の関係)
 田臥がブレックスに入るというニュースが流れたとき、たぶん多くの人が、能代工高校の恩師、加藤三彦監督からの勧誘があったからだろうと想像したと思う。でも、実は加藤HCはブレックスのHCに就任した後、一度も直接、田臥には連絡を取っていなかった。実際、ブレックスHCに就任した少し後に田臥に取材したときも、「(加藤監督からは)連絡も何もないです」と言っていた。

 実は、ブレックスが田臥の代理人に契約オファーを出したときに、代理人から「本人とは直接コンタクトを取らないこと」と言われていたのだという。それでも、先生と教え子なわけで、直接的な勧誘でないにしても連絡取るくらいはしても不思議なような気もするのだけれど、それさえなかったという。最初から欲しくてしかたない選手だったのに、なぜ、直接連絡を取ろうともしなかったのだろうか。そう聞くと、加藤HCはこう言った。
「僕はけっこうルールを守るほうですね。彼(田臥)もルールを守るほうだから、たぶん、お互いにルールを守るから(直接)連絡を取れなかったんだと思います」

※余談だけど、長年アメリカで取材してきた中で田臥から加藤HCの名前が出ることはほとんどなくて、密かに「実は仲が悪かったりして」なんて勘ぐったこともあった(スミマセン!)。
 今回、田臥本人にそう言ったら、「そんなこと(仲が悪いなんていうことは)、ないですよ」ときっぱり否定されてしまった。「今までは先生と生徒という立場のほうが強かったので、正直、あまりコミュニケーションを取る機会もあまりなかった。新年の挨拶をメールでさせてもらったり、節目節目で挨拶させてもらうくらい」とのこと。
 高校生のときの先生(コーチ)と生徒って、そういうものかもしれないけれど、先生(加藤)が言うことを、生徒(田臥)が「はい、はい」と言って聞くような、言ってみれば一方的な関係だったのだという。
 それが、今回、こうい形でプロチームのプロコーチとプロ選手という関係になったことで二人の関係もだいぶ変化し、より対等な関係で、双方向の話ができる関係に発展しているのだそうだ。かつての教え子とこういう関係になれるのって、先生(HC)にとってはすごく嬉しいことなんじゃないかなと思う。

 P9210001s ■チーム経営の側面から見た田臥獲得
 シーズン直前にいきなり田臥を獲得することになって、金銭的にブレックスは大丈夫なのだろうかと心配する人もいたのではないだろうか。あるいは、最初から田臥獲得を考えて資金繰りをしていたのかと想像した人もいるかもしれない。それを、山谷GMに聞いてみた。そのときの山谷GMの言葉。
「我々はプロのチームなので、企業のチームのように、『今年いくら使います』ということを決めて、それをどう分配していくかっていうか、割り振っていくかっていう考え方ではないです。先行投資をすれば、そこでどれぐらい回収できるんだろうとかということを考えていくわけなので。だから、よく『お金がすごくあったんですか?』みたいな話をされますけれど、いや、ないからこそ我々としては(田臥を獲得したかった)。プロのチームとして、初めてJBLに上がるチームとしてはやはりインパクトが欲しいですし、経営的には正直、そう思いました。だから、そこは先行投資という意味合いで。興行なども算盤弾いて…というところまではいってなかったですけれど、ただ非常に可能性はあると判断して、経営的には判断したつもりです」

 確かに、こういう話を聞くと、プロチームでないと今回のようにぎりぎりまで田臥の決断を待つということはできなかったのかもしれない。それが、決められた予算を変えることができない(変えにくい)実業団チームの限界ということなのかもしれない。

 それでは、実際に田臥がブレックスに入って、スポンサーが増えたり、チケットが売り切れ連続になって、支払った契約金(額まではさすがに教えてもらえませんでした)に見合うだけの収入が入るだけの見通しが立ったのだろうか。そう聞くと、山谷GMはこう答えた。

「ある意味、彼(田臥)が来てくれるという決断をしてくれた中で、それがペイできなければ、経営は何をやっているんだっていう話ですよね。だから、それぐらい彼が決断をしてくれたことに敬意を表していますし、それを生かさなきゃいけない(と思っています)」

(写真は、ブレックスのオフィス近くに置いてあった自動販売機です)

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2008年10月16日 (木)

川村卓也から見た田臥勇太(2)

 きのうの続き。

■レールを外れる
 田臥選手と川村選手、かなり大きな共通点がある。それは、二人とも高校→日本の大学という、日本のバスケ選手としてはごく一般的な道を選ばなかったということ。田臥選手は高卒と同時にアメリカの大学に進み、川村選手は高校を出てすぐにJBL(OSG)に入った。そうやってレールを外れることって、すごくエネルギーがいることだと思うし、二人とも、それだけ意思の強さを持っているのだろうとも思う。

 そういう話をしたときの川村選手の言葉をいくつか。
「でも、ちょっと言い方も悪いんですけれど、JBLに行くのとアメリカに挑戦するのではレベルが違うじゃないですか。高校で、あのときの気持ちで海外に行くとなると、相当な心構えがないと行けないんじゃないかなって思います」
「(高校からJBLに行くのは)僕は本当に不安でしたね。どういう社会なのかもわからないし、自分のバスケットが通用するのか、そういう不安はあった。それを考えたら、(田臥選手は)その何十倍の苦痛をたぶん味わってきている。それが今となっては彼の経験となっているので。誰にも経験できないことを彼はしている」

 とはいえ、そうやって人と違う道を歩くということは、まわりからの目もそれだけ集まり、厳しいことでもある。周りの目はあまり気にならないほうなのだろうか?
「初めは、(まわりの目も)気になりましたよ。ウブだったんで(笑)。そのときは、すごい批判の声もあったりだとか、あいつは絶対にやっていけない、一年でやめるみたいな感じでは言われたんで、それだけは絶対に俺は嫌だと思って。とりあえず、一年目にちゃんと試合に出て、自分の力で勝ち取ってコートに立てば、まず、少数ではあるけれど、そういう見方が変わるのかなっていう風にも思った。あと、第三者が認めるっていうのは、数字だったりとか、結果なので、それはやっぱり自分が残していかなきゃ認められないことなんだなって。いくら大口叩いたって、結果がだめだったら誰も認めてくれませんから」

■圧倒的な数字
 奇しくも、川村選手から「大口を叩く」という言葉が出たけれど、帰国してから何度も繰り返し報道される田臥選手の例の言葉。田臥選手が、その言葉にこめた思いについてはナンバー記事でも詳しく書いたのだけど、彼も川村選手が言うように、言葉に出したからには結果を出さなくてはいけないという思いを持ってやっているのだ。
 それでは、川村選手は田臥選手が「圧倒的な数字を残します」と言うのを聞いて、どう思ったのだろうか。
「彼らしいっていう感じじゃないですかね。やっぱり自信に満ち溢れている…っていうよりも、自分に自信があるんで、たぶん自然に出るんですね」

 実は以前は、田臥選手もそういうことは口に出して言わなかったのだということを伝え、川村選手からも、そういった強気のコメントが聞かれるかと思っていたと言うと…
「(田臥について)そうなんですか。それが経験(から得た自信なんでしょうね)。日本では通用するっていうのが自分でわかっているんですよね。
 僕は謙虚ですから。そのへんは勇太さんに任せます。僕はまだ、自分よりすごい上のシューターがいると思っているので、その人を蹴散らしてから言います。何年後かに…早ければ来年言います」

 謙虚だといいながら、「早ければ来年」という言葉を最後に言うように、謙虚と強気、不安と自信の両方が垣間見えて、なかなか興味深い話でした。
 今回は、田臥選手に関する記事のための取材ということで、川村選手にも(最初にそう断った上で)田臥関連の質問ばかりをぶつけてみたのだけど、田臥のことを語りながら、その言葉の端々に川村選手自身が見えてきて、なかなか、面白い取材でした。川村選手、どうもありがとうございました。

 ブレックスの話はもう少し続きます。

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