カテゴリー「プレイバック」の記事

2007年8月 4日 (土)

6年後の“カタールの少年”

 引き続き、徳島で行われているアジア大会関連の話。といっても、私はアメリカで毎日インターネットで結果を追っているだけで、現地で取材しているわけではないので、また出場選手の思い出話です。
 日本は残念ながら決勝トーナメントに進出ならず、オリンピック出場権を逃してしまいました。すごく残念な気持ちとともに、個人的には思うことはいろいろありますが、現場で取材しているわけではないので、きょうはその気持ちは書かないでおきます。
 …と言いつつ、ひとつだけ。Basketball-zineの小永吉さんのブログ(Live Basketball)の8/3の3本(「日本の北京行きがなくなった長い1日(1) (2) (3)をぜひ読んでみてください(このブログをBasketball-zineのほうで読んでくださっている方はすでにチェック済みだと思いますが、ココログのほうで読んでくれている方のためにリンクしておきます)。
 特に(3)の佐古選手の言葉には考えさせられました。今大会、佐古選手は必ずしもプレー面で大活躍というわけではなかったかもしれませんが、こういう姿勢でチームを率いていたことだけで佐古選手が代表に入っていた意味があったのだろうと思います。去年までの代表ヘッドコーチ、パブリセビッチ氏が教えてくれたことを今後に伝えていかなくてはいけないのと同じように、パブリセビッチ氏以前の日本代表が経験し、学んだことも引き継いでいってほしい。何年かたって、今の若手選手がこのときの気持ち、このときの佐古選手の言葉を思い出して厳しい局面を乗り切れるときがやってくるだろうと信じてます。

Youngmen010811bs_2   さて、そんな日本代表の大会最終戦(7-8位決定戦)は8/5(日本ではすでにきょうですね)の対カタール。日本代表のことを考えていたら、ふと6年前のヤングメン世界選手権のことを思い出して、当時のscrapbookを読み返していたのですが、そこで一人のカタールの少年について書いていました。当時15歳のバクル・モハメッド少年(左の写真は2001年ヤングメンの記者会見で撮影)。
 ヤングメン(U21)の大会とはいえ、さすがに15歳は大会最年少。1986年生まれなので、日本代表では川村選手と同年代です。川村選手が6年前に田臥選手らといっしょにヤングメン代表に入っていたと考えると、どれだけ若かったかが実感できるでしょうか。
 さっそく今大会のカタール代表ロスターを確認すると、モハメッド少年…ではなくモハメッド青年の名前もありました。背番号13番。今大会のこれまでの試合のボックスをチェックすると、ほとんどの試合でスタメンとして起用されていますね。ポイントゲッターというわけではないようだけど中心選手の一人のようです(それにしても、6年前と登録身長が変わってない。あのとき、登録身長よりすでに2cm伸びたと言っていたのに(苦笑))。
 
モハメッド選手、今はどんなプレーをするのでしょうか。あの当時のふてぶてしくもあり、それでいてシャイな少年が6年後にどんな選手になっているのか見てみたかったな~。現地やテレビで観戦される方、ぜひ日本代表とともに、モハメッド青年についても感想聞かせてくださいね。

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2007年7月28日 (土)

サンドリン兄弟

 アメリカ代表については、8月の直前合宿が始まったらまた書く機会もあると思うので、ミニ合宿については(2)で終わりとし、きょうは別のトピックを。

 日本(徳島)では、今、アジア選手権(北京五輪予選)が行われている。参加国のひとつ、韓国に「ダニエル・サンドリン」という選手がいる。去年6月に韓国籍に帰化したものの、延世大では過去にヨーロッパのプロリーグでプレーしていたこともあって大学でのキャリアが続けられず。今年KBLドラフトで上位指名されて、オリオンスに入ったばかりの選手だ。韓国名を李ドンジュンといい、お母さんが韓国人、お父さんはイタリア系アメリカ人。
 彼と彼のお兄さんのエリックのサンドリン兄弟については、前にも何度か書いたような気がしていたのだが、どうやら掲示板や知人へのメールどまりだったようで、過去のブログやscrapbookでは見つけられなかったので、あらためて書いておこうと思う。

 ダニエルのプレーは5年くらい前、彼がシアトル・パシフィック大というNCAAディビジョンIIの大学でプレーしていたときに一度だけ見たことがある。当時BYUHに所属していた田臥勇太がNCAA(Div2)トーナメント1回戦で対戦した相手だったのだ。お兄さんのエリックと2人で長身でよく走るツインタワーを組んでいて、チームの中心選手の一人だった。正直言ってシアトル・パシフィックはBYUHよりもずっといいチームで、BYUHは実力も出し切れないままに完敗、これが田臥の大学最終戦となった。
 試合でも目立っていたこの兄弟、どうもアジア人っぽい顔をしているなと思ったら、試合後に、どうやら日系人の双子らしいという噂を聞いた。実際は、日系ではなく韓国人系で、双子ではなく2歳違いの兄弟だったので、噂の情報は微妙に違っていたのだが。

 ダニエルを見かけたのはこの1回だけだったのだが、お兄さんのエリックはその後、しばらくしてから何度か見かけ、話す機会があった。日系ではなく、お母さんが韓国人なのだということを確認できたのも、エリックに聞いたからだった。
 エリックと再び会ったのは2005年1月、ABAのベルビュー・ブラックホークスがロングビーチ・ジャムを訪れて試合をしたときだった。田臥もフェニックス・サンズを解雇された直後ですでにジャムに合流していたのだが、この日は体調がすぐれずに欠場。エリックは30分出て、14点、9リバウンドをあげている。
P1070560s_2  この試合の少しあとにエリックはブラックホークスを離れ、ハーレム・グローブトロッターズ入り。そのグローブトロッターズが3月NCAAファイナルフォーのときに、NCAAオールスターチームとエキジビション試合をしたのだが、そこでレイカーズのスカウトに目をつけられ、夏にはレイカーズの一員としてサマーリーグに出場。さらにそこでのプレーが認められたのか、秋にはサクラメント・キングスのトレーニングキャンプに参加していた。結局、レギュラーシーズンが始まる前にキングスのロスターからはカットされてしまい、その後はCBAやABAなど、マイナーリーグを転々としているようだ。
(写真は2005年NBAサマーリーグの試合にて。レイカーズ(紫)の20番がエリック・サンドリン)

 2005年1月の段階では、ダニエルはすでにバスケットボールは引退して働いているということだったのだが、まだバスケットボール選手として続けたいという思いは持っていたようだ。エリックも、母の国である韓国はもちろん、日本でもオファーがあれば喜んでプレーすると言っていたので、国籍制限のないbjリーグは彼ら兄弟にぴったりだと思っていたのだが、それより前に韓国KBLに彼らを発見されてしまった(笑)。
 今のところまだエリックは韓国籍は取っていないようだが、ダニエルよりも数センチ(大学時代は2インチ=約5cm差だった)長身で、運動能力が高いだけに、もしこの先エリックも韓国籍を取ったら、日本にとってはさらに強敵となりそうだ(彼らの場合は母親が韓国人なので、現FIBAルールなら、帰化さえすれば揃って代表入りも可能のはず)。
【訂正】 7/29記
 FIBAの規則をあらためて確認したところ、たとえ親が韓国人であっても、いったん放棄した韓国籍を再取得した場合には帰化選手とみなされる。現在、FIBAのルールでは帰化選手は各国一人だけに制限されているため、サンドリン兄弟が揃って韓国代表としてプレーすることはできないようだ。
 サンドリン兄弟の場合は、様々な状況からおそらく韓国籍はすでに放棄していた可能性が高いと推測されるが、もしも韓国籍を放棄していず(アメリカ他の国との重国籍であったとしても)韓国籍を持ち続けていたのなら、帰化選手としての数には入らない。
 (参) FIBA Internal Regulations 2006 (PDFファイル)  H.2.3

***

 ひとつ書き忘れていたことがあった。エリックもダニエルも、シアトル・パシフィック大に行く前にポートランド大に在籍していたことがある。伊藤大司の先輩、というわけだ。二人とも、どうやら、ポートランド大(Div1)ではあまりプレータイムがもらえなかったようで、エリックは1999年に、ダニエルは兄を追うように2000年に、Div.2のシアトル・パシフィック大に転校(transfer)している。

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2005年9月 9日 (金)

ウィリアム・ピッペン

 スコティ・ピッペンの甥、ウィリアム・ピッペンが東京アパッチ(bjリーグ)に入るというニュースを見つけて、思わず「プレイバック」のカテゴリーを追加。

 下は2年前、ソルトレイクでのサマーリーグ(ロッキーマウンテン・レビュー)でとった写真とインタビューです。ピッペン甥はポートランド・トレイルブレイザーズからサマーリーグに出てました。ちょっぴりシャイ(恥ずかしがりや)おとなしい少年でした。
 このときのサマーリーグの様子は、昔のscrapbookにもありますので、リンクしておきます(ウィリアム・ピッペンの写真も一番最後に一枚アリ)。このときのブレイザーズ・サマーリーグはNBA選手の身内が多くて、ピッペンのほかにも、ザック・マーブリー(ステフォン・マーブリー弟)もいました(リンク先のピッペン写真の左)。アパッチさん、ザックもいかが?
http://homepage1.nifty.com/yokomiyaji/scrapbook/200307.html#0718

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【Playback】  ウィリアム・ピッペン ミニインタビュー
  2003.7.26 Rocky Mountain Revueにて

サマーリーグでの自分のプレーを自己評価。
「中くらいだね。悪くもなかったと思うけれど、すごくよくもなかった」

大学でもポイントガードをしていたの?(このサマーリーグでウィリアムはポイントガードをしていた)
「大学では、ほとんど3番だったけれど、1番もやっていたんだ」

おじさんのスコティからもバスケットボールを学んだの?
「もちろん。僕にとって彼はすばらしいお手本で、大きな影響を受けた。彼のようなプレーをしようと心がけているんだ」

それじゃ、彼の真似をして背番号33番をつけているのかな?
「そうなんだ。33番にふさわしいプレーをしなくてはいけないんだけれどね。まだ33番にふさわしいプレーはできていないけれど、努力はしている。33番をつけ続けるためにはおじさんに認めてもらう必要があるんだ」

背丈はおじさんとほとんど同じくらいかな?
「そうだね。彼のほうが1インチ(約2.5cm)くらい高いけれどね」

あなたがサマーリーグでプレーしていることに関して、スコティは何と言ってますか?
「とにかくコートの上で努力し、最善を尽くすようにと言ってくれている」

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