カテゴリー「D-League」の記事

2009年8月 8日 (土)

タイミング

P1070005s  中川和之が、JBLの三菱電機ダイアモンドドルフィンズ入りを発表した。彼のブログによると、Dリーグからもドラフト候補選手として契約のオファーがあったというが、それを断っての三菱入りなのだという。それを聞いて、今まで何年もかけてアメリカ挑戦をしながら、なぜDリーグのドラフト候補に入るチャンスをみすみす逃すのかと思った人もいることだろう。

 中川は去年の夏から秋にかけて、「今年がアメリカ挑戦の最後。ここでDリーグにも入れなければアメリカ挑戦は諦める」と言っていた。ところが、去年は夏前の故障の影響もあってDリーグ入りはならず。秋のチームトライアウトではかなりいいところまで行ったらしいが、それでも結局はDリーグには入れず、bjリーグでプレーした。
 そして今年6月、今度はDリーグに入るためではなく、単に選手としての実力を磨くためにDリーグ・プレドラフトキャンプに参加。その結果、去年は得られなかったドラフト候補としての契約オファーを得たわけなのだから皮肉なものだ。

 それにしても、たとえ去年の時点でアメリカ挑戦は諦めたと宣言していたにしても、Dリーグからのオファーがあったら受ければいいじゃないか、なぜ去年は目指していたものを今年は断るのか、と思う人もいるだろう。

 実は、今年6月、プレドラフトキャンプを見に行ったときに、中川に「もし、これでDリーグからオファーがあったらどうするのか?」と聞いてみた。去年よりコンディションがよく、いいプレーも見せていたので、まったく可能性がない話ではないと思ったのだ。しかしその時点で中川は、きっぱりと、「それでも今回は受けるつもりはない」と言っていた。
 それには理由があった。労働ビザだ。去年までの中川は、以前取った選手としての労働ビザを持っていた。その期限が切れる前にDリーグに入りたい、というのが、去年「最後の挑戦」と口にしていた大きな理由だったのだ。
 もちろん、Dリーグのロスター入りすればDリーグで労働ビザを取ってもらえる可能性はある。実際、田臥もDリーグの選手として労働ビザを取ったこともあった。とはいえ、あのときの田臥はすでにNBA経験があり、Dリーグでも経験がある選手だ。今の中川とは立場も違う。Dリーグ経験もなく、Dリーグチームのロスターに入るかどうか、ぎりぎりの線上にあるぐらいの選手である彼に対して、Dリーグが時間と経費をかけて労働ビザの手続きをしてくれるのか。手続きをしてくれたとして、申請してから許可が下りるまでにどれぐらいの日数がかかるのか。そういったことをもろもろ考えると、あまり現実的な選択肢ではない、そう中川は判断した。
 これが、Dリーグではなく、NBA入りのチャンスだったらまた考えも違っただろう。中川にとってのアメリカ挑戦は最終目標は常にNBAであり、DリーグもNBAへの入り口として選んだ選択肢だったのだ。
 言ってみれば、タイミングがほんの少しだけずれてしまっただけ、とも言える。それでも、ここできっぱり諦められるのは、ここまで彼が本気で挑戦してきたからなのだろう。彼の選択をもどかしく思う人もいるかもしれない。「そんな細かいことはあとから考えればいいから、とりあえずチャンスがあるならやってみればいいのに」と思う人もいるかもしれない。しかし、何年もアメリカでやってきた彼だからわかる現実もあるのだ。
 同じようなことは、コロンビアを出てレラカムイに入った松井啓十郎にも言える。ノースカロライナ大ではなく、コロンビア大を選んだときの選択(このあたりのことを含めて、彼の大学4年間については月刊バスケットボール10月号に記事を書いてます)、そしてコロンビアでの4年を終えた後にレラカムイに入るという選択。アメリカで、高校時代にトップのレベルも経験したからこそ、彼はそういう選択をしたのだと思う。
 遠くから見ていると、目標は近くに見えるように錯覚することがあるが、実際に中に入って経験する選手たちは、その距離を身をもって実感しているのだ。

 そういえば、NBAサマーリーグの頃、ラスベガスで、とある人と日本人選手がNBAに入る可能性について話したことがある。この夏も、何人かの日本人選手たちがNBA挑戦を口にし、実際に行動に移していたけれど、現実的にどれぐらいの可能性があるのか。個人的な意見だが、正直なところ今の時点ではどの選手の可能性も10%もないと思っている。数字として出してもあまり意味がないと思いながらあえて書いてしまうと、現実的に考えると、今挑戦している日本のトッププレイヤーたちでも1%~5%ぐらいではないかとすら思う。
 だから、その現実を感じて別の道を選んでも、それはそれで悪い選択とは私には言えない。ただし、常に上達したい、成長したいという気持ちだけはどこに行っても持ち続けてほしいと思うけれど。

 最後にひとつ記しておきたいのは、これは、可能性が低いとわかっていながら(あるいはもしかしたら現実よりも可能性が高いと思い込んで)NBAに挑戦する選手たちに「現実を見たほうがいい」と言うつもりで書いたわけではないということ。それだけ厳しい中で、厳しいとわかりながら挑戦を続ける選手たちには敬意を感じるし、メディアという立場を離れて、応援したいとも思う。それに、それぐらい強い気持ちがなければ、1%を100%にすることはできないのだ。
 そういえば、前に、知り合いのNBAのスカウトが言っていた。「NBAに入るは別に世の中の人たち全員に認めてもらう必要はない。1人のヘッドコーチ、1人のGMが認めてくれればいい」と。

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2009年7月14日 (火)

日本代表対Dリーグ選抜②

日本代表 64 - Dリーグ選抜 92
     1Q 16 - 27
     2Q 20 - 21
     3Q 10 - 25
     4Q 18 - 19  

 日本代表はこれでラスベガスでの全日程を終了。きょう午後は自由時間、そして明日、アメリカを発つ予定です。私は灼熱のラスベガスに残り、引き続きサマーリーグ取材です。

【以下、7/16追加分】
 遅くなりました。日本代表はすでに日本に到着して、台湾に出発するところでしょうか。とりあえずDリーグ選抜との第2戦について、また思いつくままに。この他にも、日本代表を3試合見て、取材させてもらい、個人的に思ったこと、感じたことなどがあったので、後日、別記事でまとめをアップする予定。

■日本代表得点内訳
※試合中のメモを元にまとめていますが、つけ間違いなど多少の誤差はあるかもしれないので、参考スタッツということで。

 竹内(公)17点
 石崎 11点
 五十嵐  8点
 岡田  7点
 桜井  6点
 折茂  5点
 山田  4点
 伊藤  4点
 網野  2点

P1070317s ■日本代表は、結局アメリカ遠征で3連敗。でも、この日の最終戦では2Qと4Qを1点差に抑えることができ、点差も3試合で最小の28点。Dリーグ選抜が3日連続試合で疲れていたということもあるかもしれないけれど、それでも簡単にやられないQを作ることができたのは収穫。4QにはDリーグ選抜に1分間で2回続けてタイムアウトを取らせる場面もあった。倉石HCも3Q、引き離され始めたときに「ここで諦めちゃだめなんだよ」と何度も言っていただけに、この踏ん張りには「少し収穫」と言っていた。ただし、「先手を取られて、受けにたってから頑張ってもしょうがなくて、仕掛けてから頑張らなきゃいけないんだけどね」とも。確かに1Qの出だしで8-2のリードを取った後でこの踏ん張りが出来ていれば、終盤まで競る展開での試合ができたはず。

■踏ん張れたひとつの理由は日本のゾーン・ディフェンスやオールコート・プレスでDリーグ選抜の攻撃の勢いを抑えられたこと。このゾーンはまだ練習して1週間とのことなので、この先さらによくなるはず。ゾーンといえば、日本代表は東アジア予選でゾーン相手の攻撃で苦労したという話を聞いているが、アメリカでの3連戦でのホーネッツ、Dリーグ選抜のディフェンスはマンツーマンのみだったので、その面での練習はできずなかった。

P1070315s ■もうひとつ、この試合でよかったことは五十嵐選手が少しリズムを取り戻した感じだったこと。私が前回、日本代表の試合を見たのは3年前の世界選手権のときだっただけに、その時に見た彼の持ち味が、ホーネッツ戦、Dリーグ選抜との1戦目で出せていなくて気になっていた。特に、田臥選手が抜け、柏木選手も足の調子がおもわしくなく、石崎選手は経験が浅いとなると、今後五十嵐選手の活躍が必要になってくるだけに、彼の復活は日本代表にとってはグッドニュース。倉石HCも、彼の復活が必要だと思ったのか、この試合では彼のプレータイムを少し長くしたといていた。
 五十嵐選手にも13日の練習後に話を聞いたのだけど、彼自身も「ここに来て、何か思い出せるような、そういうプレーが出せたらいいと思っている」と言っていた。最終戦後には話しを聞く機会がなかったから本人の感想は聞けていないけれど、最終戦はそんなきっかけになったのではないかと思う。

■最終戦は、ローテーションとしてもいろいろ試していた。それまでの2試合ではポジションごとに、シューティングガード(2番)はシューティングガード、スモールフォワード(3番)はスモールフォワードと交代するだけだったのが、この試合ではサイズをあげるために2番に桜井、3番に網野というラインナップも試していた。

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2009年7月12日 (日)

日本代表対Dリーグ選抜①

 Dリーグ選抜との1試合目。2Q残り5分49秒、桜井選手がトランジションから、ボールを背中に回すフェイクでディフェンスをかわしてドライブインしてレイアップ。これが決まった時点で28対30と2点差。もしかしたら少しは競ったいい勝負ができるかも、と期待したのもつかの間、その後シュートミスやターンオーバーから相手の速攻を決められて点差があっという間に開いて前半が終わったときには35対49。11日の練習でもトランジション・ディフェンスの練習はしていたのだけど、まだ相手の切り替えしの速さに対応できていないようだ。3Q、4Qも少しずつ点差を広げられて74-105と31点差の敗戦。

以下、思いつくままに…。

■Dリーグ選抜(D-League Select)は、NBAチームに混じってサマーリーグに参加。先日のDリーグ・プレドラフトキャンプの日に、プレドラフトキャンプが終わった後、エリートキャンプとしてDリーグで活躍していた20数名を呼んでキャンプ、その中から選んだ選抜チーム。ホーネッツのダレン・コリソンやマーカス・ソーントンほど能力が高い選手はいなくて、NBAのレギュラーシーズンを経験しているのも1人(トレイ・ジョンソン)のみだが、平均的な能力で比べたらホーネッツのサマーリーグ・チームともそれほど変わりはないかも。倉石HCは「こっち(Dリーグ選抜)のほうが強いんじゃないか」とまで言っていた。特にビッグマンはそうかもしれない。Dリーグ選抜のサマーリーグでの本番は7/13からなので、それを見れば実力もはっきりわかるはず。

■当初午後1時開始の予定が、キングスのサマーリーグ・チームの練習とダブルブッキングで、急きょ3時からに変更。あいた2時間の間、代表チームは上のフロアで行われているサマーリーグの試合を観戦。偶然、2日前に対戦したホーネッツの試合だったので、余計興味深かったのではないでしょうか(ちなみに、ホーネッツは日本代表戦では大事をとって出ていなかったジュリアン・ライトも出ていたけれど、スパーズに6点差で負け)。

■10日のホーネッツ戦と11日の練習で、左足の関節炎をまた痛めてしまった柏木。大事を取ってこの試合は休養。見ているとウズウズするようだけど、8月にベストコンディションに持っていくために我慢、我慢。

■その柏木のかわりに先発ポイントガードを務めたのが石崎。倉石HCによると、五十嵐ではなく経験が浅い石崎を先発に使ったのは、石崎を控えに回すと起用しどころがなくなってしまうから、らしい。実際、石崎はチーム全体のコントロールに苦労している様子。本人いわく「相手がどうこうより、まだ自分を代表のチームの中にフィットさせられていなのが一番の問題。せっかくチャンスをもらったのに生かせなかったのが悔しい」とのこと。

■竹内(公)は40分出ずっぱり。サイズの大きなアメリカ人チームを相手にしたときに、彼がいないときに得点の起点となれる選手がいないので、どうしてもコート上で彼の存在が必要だったということらしい。「本当は休ませなくてはいけないんだけど、自分のわがままで全部出させてもらった」と倉石HC。アジア大会では竹内(譲)選手が戻ってくる予定なので、2人でインサイドの得点ができるという計算。

■ゴールデンステイト・ウォリアーズのドン・ネルソンHCが試合を見に来ていた。上の階のTウルヴス対ロケッツをパスして、この試合を見に来たのはどうしてかと思って聞いたところ、「去年、あのセンターがうちのワークアウトに来たからね」とのこと。それは公輔のほうではなく、双子の弟の譲次なんですけれど…と告げると驚いていた。とはいえ、試合を見に来たからといって竹内兄弟のどちらかをウォリアーズに入れたいといった意図ではないようで、NBAでプレーする可能性についても「今、何歳? 24? うーん、どうかな。あれで19歳から21歳ぐらいならまだ伸びると思えるけれど、24、25ぐらいになるとあまり成長は期待できないから難しいと思う」と、正直なお答え。まぁ、この手の質問をするとリップサービスで返してくる人が多い中で、正直な返答はありがたいことです。と同時に、竹内兄弟にはそんな言葉は跳ね除けるぐらいの成長をこの先見せてほしい。

■最初に速報で書いたときに、人にお願いしてつけてもらっていた記録をもとに各選手の得点をアップしたのだけど、合計得点が4点足りなかったため、自分のメモを元に数えなおしたら、微妙~に違う。さらにJBAのサイトに載っている得点とも、また少し違う。どれが正しいのかわからないのだけど、参考資料ということで、私の記録をもとに起こした得点だけ書いておきます。今回、練習試合ということで、正式なボックススコアは出ないので、それぞれ独自記録なもので…。本当はリバウンドやアシストなどもつけたいのだけど、プレーのメモなども取ったり、合間で写真も、と思うとそこまで余裕がありません(JBAではリバウンド、アシストもつけているようですね。サイトに載っているのはトップ3人だけですが…)。次の試合では相手の得点をつけるのをやめようかな。

 7/12 vs D League Select第1戦
  竹内(公)19点
  網野   12点
  折茂   10点
  伊藤    8点
  石崎    7点
  桜井    6点
  五十嵐   4点
  岡田    4点
  山田    2点
  不明(メモ取っている間に見落としました。すみません) 2点

ホーネッツ戦での得点もメモをもとに計算しましたので、これはホーネッツ戦の記事のほうに追記しておきます。

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2009年6月21日 (日)

Dリーグ・プレドラフト・キャンプ

P1060983s   この週末にLAで行われたDリーグ・プレドラフト・キャンプ、会場がうちから車で15分ほどの場所だったので、誰か日本人選手が参加していないかと思い、原稿書きの合間に行ってきた。
  今年、参加していた日本人は、bj高松ファイブアローズの中川和之と、bjリーグ審判の大河原則人(ゴンゾー)の二人。
 中川選手は2年連続の参加。前日に彼のブログを見たらアメリカに修行に出ると書いてあったので、もしやと思ったら、やっぱりいた。故障明けだった去年のキャンプよりも身体のキレがあり、いい感じ。特にきのう見た試合は攻守になかなかインパクトを残す活躍をしていた。ただし、本人いわく、今年はDリーグに入るために参加というよりは、自分の成長のための参加らしい。どちらにしても、特にガードの選手にとって、このキャンプからDリーグのトレーニングキャンプ招待にたどり着くのはかなり難関。キャンプのレベルが特別高いというわけではなく、Dリーグのコーチたちが、ここでガードを見つP1060949sけようとあまり思っていないから。ガードは選手層が厚いから一般公募で探す必要がないのだ。
 アメリカ人の中にもbjでのプレー経験がある選手が何人かいた模様。ひとりは、琉球ゴールデンキングスのクリス・エアー。背番号は去年と同じく身長順につけられていたのだけど、エアーは200人中最長身だったので200番をつけていた。

 このキャンプ、2年連続で見たけれど、得られるものに比べると値段が少し高め(確か$550だったかな)。参加費に2泊分のホテル代&朝食代も含まれていたことを考えればそれほど高くはないのかもしれないけれど、現地でキャンプだけ参加する人の割引は一切なし。たぶん今回、LAという参加しやすい場所だったのにもかかわらず、日本人の参加が少なかったのはそのためだと思う。
 そういえば、選手以外でもbjリーグでコーチをしている(&していた)人をチラホラと見かけた。スカウティングのために来ていた人と、自分自身の就職活動(?)のために来ていた人と。そうそう、10年以上前に引退した元NBA選手が、中川選手に「日本でコーチをしたい!」と売り込む場面もあった。
 7月にクリニックで来日予定の、レイカーズアシスタントコーチ、ジム・クレモンスの姿もあった。友人のコーチを迎えに来たのだとか。「(チーム主催の)優勝パーティー、どうだった?」と聞くと、「僕は若いときでもあまりパーティーは好きではなかったからねぇ…」と言っていた。マジメな人なのだ。

※ジム・クレモンスのクリニック詳細は掲示板[3565] に掲載しています。少し下のほうに行ってしまっているので、番号で探すか、掲示板にある検索欄にジム・クレモンスと入力して検索実行してください。

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2008年9月29日 (月)

JBL開幕戦取材

 また少し、間があいてしまいました。9月半ばからきのうまで約2週間、日本に一時帰国していました。
(私信:今回は時間に余裕がない帰国だったため、帰国の連絡すらできなかった友人、知人も多数。ここを見て「なんだ、帰っていたのか」と思った方々、スミマセン!)

***

P1000013s_2   日本滞在中にちょうど田臥勇太選手が加わったリンク栃木ブレックスのJBL開幕2連戦(対東芝ブレイブサンダース)が行われたので、これだけは見なければと、宇都宮まで行ってきた。ブレックス2連敗という結果にも出ているように、まだチームは噛み合っていなくて、田臥だけでなく他の選手の持ち味も発揮できていなかった。走るチームのはずなのに、ほとんど走る機会がなかったり、パスがうまく繋がらなかったり、最後の詰めが甘かったり、見ていてもどかしい。今後、修正が必要なことがたくさん。いいように受け止めればこれからの伸びしろがあるとも言えるけれど、実際に伸びるかどうかは、田臥を含めた各選手の適応力次第といったところだろうかか。ブレックスが今ひとつの分、東芝の上手さばかりが目立つ試合だった。

P1000019s_4  さて、その東芝に昨季アメリカで何度か見た選手がいたので、開幕戦後に話を聞かせてもらった。
 その選手とは、東芝に新規加入したアメリカ人選手、コーリー・バイオレット。ゴンザガ大出身で、昨シーズンは、田臥が所属したDリーグで、アナハイム・アーセナルと同じディビジョンのアイダホ・スタンピードに所属していた。昨季のスタンピードはレギュラーシーズンで最高成績、最終的に優勝という強豪チーム。試合中大声を上げ続ける熱いコーチの元で、チームとしてまとまって戦う好チームだった。バイオレットはその中で特別ずば抜けたスタッツをあげていたわけではなかったけれど、それでも中心選手の一人で、頭がよく、器用で、しかも熱いプレイヤーだった(※)ので、かなり印象に残っていた。

※実際に話してみたらとても温和。昨シーズンの印象では審判に食ってかかるなど、けっこう短気なのかと思っていたけれど、コートを出て話した印象はまったく正反対だった。

 バイオレットと田臥、立場もポジションもプレースタイルも違うけれど、NBAから見ると共通点もある。二人ともポジションにしては少しサイズが足りないのだ。田臥のサイズ不足についてはよく言われるけれど、バイオレットの場合もNBAでPFをするには小さく、ずば抜けたジャンプ力を持っているわけでもない。かといってSFをするには少しスロー。こういった、「NBAに入るには何かが少し足りない選手」が世界中にはたくさんいるのだ。

 それにしても、Dリーグの優勝チームでそれなりのスタッツを残し、しかもDリーグ・オールスターにも出たバイオレットのような選手が日本でプレーすることを選んだということが少し意外だったのだけれど、本人いわく、これまで東芝でプレーした選手に話を聞いて好印象だったのと、実際に東芝からの勧誘がとてもプロフェッショナルだったことで、日本行きを決断したのだという。他にはベルギーとイタリアのチームからもオファーがあったけれど、東芝がオファーしてきたオファーほど条件がよくなかったらしい。これまでにミネソタやユタでサマーリーグに出たり、トレーニングキャンプに参加したりしてきて、今年もNBAチームからキャンプの招待があったほか、望めば再びスタンピードに戻ることもできたのだという。でも彼としては、NBAに向けてのアピールは去年したので、今はバスケットボールができる間に稼いでおきたいということらしい。

P1240183s_2  昨季、何度か対戦したアナハイムにいた田臥を覚えているかどうかバイオレットに聞いてみたところ、「よく覚えている。(田臥はプレータイムが少なかったけれど)先発の選手(ウィル・ブレイロック)よりも彼が出てきたときのほうがボールがよく動いていて、僕らのチームにとっては戦いにくかった。あのチームのコーチがなぜ田臥をもっと使わなのか理解できなかった」とのこと。まぁ、今、日本でプレーしているのだから、日本人選手の田臥に対するリップサービスも多少はあったのかもしれないけれど、実際に話を聞いた印象では、心にもないことを言ったわけでもないと思う。
(写真左は今年2月のスタンピード@アーセナル戦での田臥とバイオレット)

 JBLデビュー戦でのバイオレットは26点・12リバウンド、2戦目でも19点・13リバウンドと大活躍。東芝にも、日本のスタイルにもあっているし、本人も「日本はとても気に入っている。ここはみんな親切だし、日本食、特に寿司が大好きだ。東芝はとてもプロフェッショナルで、望むものはすべて与えてもらっている」と言っているので、この先、何年も日本でプレーし続けるような選手になるかもしれない。

***

 田臥選手やブレックスについては、田臥選手本人のほか多くの方に取材させていただいたのですが、ナンバー(10/16発売 714号)に記事を書く予定なので、まずはそちらに集中します。記事を書いたあとで書ききれない話が残っていたときには、あとからここにも書くかも。

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2008年7月 4日 (金)

Red-eyeでDリーグ・プレドラフトキャンプへ

 "Red-Eye flight"の意味、わかりますか? 直訳して赤い目のフライト、つまり飛行機の夜行便のこと。アメリカ大陸は広く時差もあるので、一日を有効に使うために、西→東の移動のときにはよく使っている(余談だが、東→西のred-eyeはない)。
 今回はred-Eyeを使わないとこの取材はできなかった。アメリカ代表の練習&取材がラスベガス時間の午後に行われ、翌日にアトランタ郊外で朝9時過ぎから3時半までDリーグのプレドラフトキャンプ。この両方を取材するには、アメリカ代表を取材したあと、数時間ラスベガスで時間をつぶし、夜中発の夜行便で出発するしかなかったのだ。それでも、時差もあるから、シカゴ乗換えをしてアトランタに到着したのは翌、6/29の朝9時半(アトランタ時間)。そこからレンタカーをかりて、1時間弱のドライブをして会場に到着したのは11時過ぎ。本当は9時半~11時の時間帯で、日本人4選手それぞれのチームの試合が予定されていると聞いていたので、できれば最後数分だけでも見たかったのだけれど、やっぱり無理だった。あとは午後にそれぞれ、最後の1試合がある。そのために大陸横断してきたようなものなのだ。

 プレドラフトキャンプとは、言ってみればDリーグと契約=ドラフト候補選手となるために目に留めてもらうためのキャンプ。大学時代に強豪校で活躍したり、NBAのサマーリーグ、トレーニングキャンプに出る選手はこのキャンプに参加しなくてもスカウティングされているので、アメリカ人の参加選手には、NCAAのD2、D3や、あるいは短大しか行っていない選手も多い。出身大学でN/A(該当なし)となっている選手も何人もいたが、おそらく学力などいろいろな理由で大学まで行かなかった選手なのだろう。18、19歳の選手も4人ほどいた。
 それでも、このDリーグのプレドラフトキャンプは申し込んだ全員が参加できるのではなく、申請者のうち200人を越えた分は経歴を見てカットというやり方を取っているので、とんでもない素人選手は入っていない(マイナーリーグのトライアウトだと、ピックアップゲームだとおミソになりそうなくらいのへたっぴ選手が混じっていることもあるのだ)。今年は260人の申請があったというから、60人が書類でカットされたことになる。実際、大学時代は無名でも、マイナーリーグで経験を積んだ選手も多く、マイナーリーグのトライアウトとすれば、レベルは平均以上だと思う。
 200人の参加者中、171人が6-6(198cm)以下。日本にいると、198cmならそれほど小さいとは思わないかもしれないが、NBAならシューティングガードの身長。Dリーグでもスモールフォワードだ。

 参加した日本人選手のうち、竹内譲次選手は申請身長6-9(206cm)で、彼より高い身長で登録されていたのはわずか5人。でも皆さん、それぞれだいぶサバ読んでいたようで、6-11で登録しながら、並んでみると譲次選手より低いということもあったとか。そんなだったので自分よりサイズの大きな選手とマッチアップすることもほとんどなく、4番、5番として使われることも多かったので、その点では少し物足りなかったかもしれない(途中、コーチに頼んで3番をやらせてもらったこともあったらしい)。私が見た試合ではインサイドのシュートもことごとくミスしてしまっていたり、決して試合を支配していたわけではないのだが、それでもあの身長でボールハンドリング力もあるということで、コーチやリーグ関係者から注目されていたようだ。感触としては、プレータイムがどれだけもらえるかはわからないけれど、Dリーグ・レベルならロスターには入れるんじゃないかな。
 他に参加していたのは栗原祐太選手、中川和之選手、呉屋貴教選手。栗原選手、中川選手はさすがにアメリカのマイナーリーグ経験が多いだけに、こういう場でもどういうプレーをしたらいいのかがわかっているようだった。ただし、ビッグマンが少ないということは、逆に言えばそれだけガードの選手が多いということ。となると、彼らのようなガード選手の場合は、大勢いる中でどうやって目に留めてもらうかが鍵となる。

 サクっと書くつもりが、まとまりなく長くなってしまった。キャンプ後には、それぞれの選手に時間を取ってもらって話も聞いてあるのだが、それも含めて次号(7/25発売9月号)の月刊バスケットボールとHOOPに記事を書く予定なので、続き(?)が気になる方はそちらの記事を読んでください。

 最後に写真を。ただし会場が暗かったので、動いている写真はブレブレのボケボケ状態。それでも、ブログなので、多少ボケていても雰囲気がわかる写真を選んでみました。

P1270659s P1270672s

P1270712s P1270729s

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2008年4月18日 (金)

シーズン終了 (2)

P1250150s_3   Dリーグも、NBAより一足早くレギュラーシーズン終了。田臥勇太のアナハイム・アーセナルは、終盤になって波に乗ったものの、残念ながらプレイオフ出場権は取れず。4/12の試合@ベイカーズフィールドで2007-08シーズン終了となった。そういえば、ベイカーズフィールドで始まり、ベイカーズフィールドで終わったシーズンだった。始まりのベイカーズフィールドのときと、終わりのベイカーズフィールドのときではチームも、状況も大きく変化。始まったときよりも、ずっといい顔でシーズンを終えたのは、収穫が多く、いいシーズンだった印だ。

 今年の田臥の成長はスタッツだけではわかりにくい。何しろ、プレータイムがDリーグでプレーするようになったこの3年で一番少ないのだから、その分スタッツも下がっている。48分換算にしても、得点もアシストも微増減はあるものの、これまでと比べて劇的に変わったわけでもない。
 スタッツ以上に、実際に試合を見たほうが変化はわかりやすい。プレースタイルが少しずつ変わってきているのだ。前よりずっとアグレッシブに、それでいて自然にドライブインを狙うようになったし、外からのシュートもチャンスでは躊躇することなく打ち、前より決めるようになった(FG成功率は下がっているが、3ポイント成功率は伸びている)。

 見ていて、ようやくアメリカのスタイルに慣れてきたと思う。これは、田臥自身も自分の課題としてあげていることなのだが、彼はどちらかというと環境に慣れて自分の力を発揮するまでに時間がかかるタイプ。正直、この3年を振り返ってみると、これまで2年はどちらかというと準備期間で、今シーズンがスタート地点のようにも思える。

P1250111s_4 田臥自身も自分のブログで、「今シーズンは楽しかった」と何度か書いているように、傍からみていても、今シーズン後半の田臥は、Dリーグの中、チームの中に自然に溶け込んでいた。もちろん、チームメイトに恵まれたということもあるだろう。田臥自身、アメリカ人選手と自然にコミュニケーションが取れるようになったということもある。アメリカのバスケットボール自体に慣れてきて、違和感がなくなってきたということもあるようだ。このあたりは、詳しく書きたいことがたくさんあるのだけど、どれも書き出すと長くなるので、また機会があるときに。

 さて、日本のファンにとって一番気になるのは、来シーズンどこでプレーするか、ではないだろうか。HOOP6月号(4/25発売)掲載のインタビューから、予告編として少し抜粋。

(2シーズン、NBAと縁がなかったことに関して)
「NBAでやりたいという気持ちはいつでも持っていて、当たり前のこととして置いてある。僕はNBAに近づいたか近づいていないかっていう言い方はしたくないんです。どこでどんなチャンスがあるかわからないし、誰が見てくれているかもわからない。そのためにアメリカに来てDリーグでやっているわけですから。今やるべきことをやっていって、NBAにより近づけるためにこれからどのステージ(舞台)を選んで、どこのチームを選んでやっていくかっていうのを探りながらやっていくことが必要だなって思います」

P1250136s_2  さらに詳しい話は4/25発売の月刊バスケットボール6月号とHOOP6月号にそれぞれ書いているので、興味ある方は、ぜひそちらを見てください。月刊バスケのほうは元能代工の加藤監督がJBL栃木の監督に転進した話、能代工の佐藤信長・新監督についても触れた記事。HOOPのほうはシーズン総括の長文インタビューで、シーズンを振り返っての話のほかにも、NBAの中で気になる選手について、日本のバスケにどう貢献するか、日本の選手の海外挑戦についてなどにも触れてます。実はインタビューはまだ掲載しきれていないので、未掲載分も近いうちにどこかで紹介できればと思ってます。

(写真説明)
1枚目:シーズン終了後のインタビュー時。ちょっとピントが甘いのだけど、いい笑顔だったので。もっとちゃんとした写真はHOOPに掲載されるはず。
2枚目:シーズン最後から2試合目、ロサンゼルス・Dフェンダーズ戦。会場はレイカーズの本拠地、ステープルズセンター。後ろに映っているエンドライン席の老夫婦は、テックス・ウィンター夫妻。Dフェンダーズの試合は、毎試合最初から最後までここで見てます。テックスを挟んで、田臥の後ろの位置にいる黄色のユニフォームは、レイカーズ(このときはDフェンダーズに派遣)のコービー・カール(ナゲッツHC、ジョージ・カール息子)。
3枚目:LAでの試合を見に来ていた日立の竹内譲次選手と、ハーフタイムに歓談(ポジショニングの悪い写真ですみません)。HOOP掲載のインタビューでは譲次選手についても触れてます。

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2007年11月18日 (日)

プロの世界

(文末に追記があります)

 ジャムに合流した田臥勇太について、おととい夜に「いっそのことカットされたほうが…」なんて書いたら、昨夜(11/17)、本当にカットされてしまった。

 ビザの関係でキャンプ開始から6日遅れで、チーム練習に合流したのが15日の夜。それからたったの2日間(時差ぼけもある中での練習2回と、その合間にいきなり行われた練習試合1回田臥選手のブログによると2回目の練習前にカットを告げられたようなので、練習1回と練習試合1回)だけでカットってどういうことよ、と思うし、そんな判断の仕方はフェアではないとも思う。田臥にしても、本調子が出せないうち、不完全燃焼のうちのカットだったことだろう。こんなに早々にカットするなら、なんでリターニング・プレイヤーとしてプロテクトしたのか、プロテクトされなければドラフトで他のチームに指名してもらえたのに、とも思っていることだろう。

 とはいえ、この世界、フェアかどうかなんて関係ないのだ。コーチからチームに必要だと思われれば残れるし、思われなければ残れない。リターニング・プレイヤーにしたことにしても、コーチからすれば、そのときには、他の選択肢(他の選手)よりもいい選択肢だと思ったのだろう。ドラフトでいいガードが取れなかったときの保険のつもりだったのかもしれない。こういう不条理さも、プロである限りはよくあること。しかたないことと割り切るしかない。

 それにしても、結局、ハリックは最後まで田臥のサイズでは無理と決め付けたままだった。去年から見てきて思うのは、ハリックというコーチは、選手やチームのの長所より短所、よかったところよりもミスしたところを気にするコーチだということ。田臥に関しては、とにかくサイズ不足でディフェンス面でやられることが何よりも気になるようだった。結局、田臥はその偏見をひっくり返すだけのものを見せられなかった、とも言える。
 確かに、おとといの練習試合でも相手ポイントガードは田臥が出てきたと同時にサイズの差を突く1対1やポストアップを仕掛けてきて、得点につなげられる場面も多かった。久しぶりの状況に、田臥自身もいつもほど対応しきれていないようでもあった。ハリックは「やっぱり」という思いを強くしたのかもしれない。

 今回のカットは田臥にとって屈辱かもしれないし、挫折と感じているかもしれない。でも、今の彼はこういったことをプラスのエネルギーに変えるだけのメンタリティは持っているとも思う。これをどう乗り越えていくのかに注目したい。

 ちなみに、Dリーグのチームからカットされた選手はDリーグ登録の予備選手となり、他のDリーグ・チームからのオファーを待つことになる。あるいは、他チームからオファーがない場合は、他のリーグのチームと契約することもできる。

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(1日だけの幻となってしまった背番号7番ユニフォーム姿)

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11/20追記
 チームへの合流が遅れたことが解雇の原因だと思っている方も多いようなのだけれど、それは違う。また、ビザ手続きの遅れが田臥自身の不手際だと思い込んでいる人もいるようだけれど、それも違う。
 まず、ビザ更新の手続きはDリーグと契約するまで始められないわけで、あとは大使館でどれだけ迅速に手続きをしてくれるか次第。今回はたまたま、大使館側での手続きが終わる前にアメリカの休日に入ってしまい、思った以上に日数がかかってしまっただけのこと。田臥の不手際でも何でもない。
 そして、ハリックがいくら厳格な元大学コーチでも、そういった不可抗力で合流が遅れたことだけを理由にカットにしたわけでもない。
 もちろん、合流が遅れたことで、実力を見せきることができずにカットされたということはあるだろう。キャンプの最初から参加していたら、もう少しハリックを納得させるようなプレーができていたかもしれない。
 とはいえ、ヘッドコーチがハリックで、今のロスター(先日の練習試合を見る限り、ハリック好みで、それなりにサイズがあるポイントガードが2人はいた)だったら、結局、田臥は最終ロスターには残れなかったのではないかと思うのだ。
 言ってみれば、ただ単にハリック&ジャムとは縁がなかったということ。それに、最初からサイズでだめだと決め付けるハリックのもとにシーズン通して残るよりも、もっと田臥の持ち味を買ってくれるコーチのもとでプレーできれば、そのほうがずっといい結果に繋がると思う。今は辛抱のとき。そういうコーチ、チームが見つかると信じるしかない。

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2007年11月17日 (土)

背番号7

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 田臥勇太、ようやく始動!

 ビザ手続きの都合でチーム合流が遅れていた田臥勇太がようやくベイカーズフィールド・ジャム(NBAディベロップメントリーグ)に合流した。
 日本から帰国して2日目=チームに合流した翌日にいきなり試合(表向きは「スクリメージ」、つまり練習ということになっていたけれど)だったため、ゲーム・コンディションを取り戻すのに苦労していた。前半は足が動かなくなり、自らベンチに下がるリクエストを入れたほど。

 それにしても、ヘッドコーチのジム・ハリックは相変わらず田臥のサイズ不足を気にしていて、そのこと&チーム合流遅れがロスター決定の際にどう影響してくるのやら。

 昨シーズンから感じていることなのだが、正直言ってハリックの元では田臥は持ち味を発揮できそうにもない。いっそのことカットされて他のチームに入ることができれば、そのほうがいいような気もするが、かといって他のチームに入れる保証もないわけで、難しいところ。まぁ、本人としては、全力でプレーし、結果を出すことで道が開けると信じて努力し続けるしかないのだろうけれど。

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2007年2月24日 (土)

RIP

P1120219s  2/22、デニス・ジョンソンが亡くなったというニュースには本当に驚いた。
 Dリーグのオースティン・トロズのヘッドコーチをしていたこともあって、Dリーグの取材で何度も見かけていた。1月、ベイカーズフィールドでの試合後には、ジェイ・ウィリアムスのことについて取材させてもらったばかりだった。故障で戦列を離れていたジェイについて話していて、「シーズン最後までプレーすることができればNBAにコールカップされる可能性もある。でも、そのためには健康でなくてはいけない」と言っていた。ジェイはコンディションが万全に戻らないのか、いまだにDリーグには戻ってきていない。そのジェイに「健康でなくてはいけない」と言っていたDJは、ジェイが再びプレーする姿を見る前にこの世を去ってしまった。

 この写真は、昨シーズン、アルバカーキでの試合でのひとこま。アルバカーキーのヘッドコーチ、マイケル・クーパーのバブルヘッド・ドールをしげしげと眺めるDJ。かつて、セルティックスとレイカーズでライバルだったDJとクーパーは、Dリーグのヘッドコーチとして、今でもライバルでいられることが本当に嬉しそうだったのだけれど…。

 RIP.....心からご冥福をお祈りいたします。

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