カテゴリー「Japanese players in USA」の記事

2011年1月 6日 (木)

決意表明

P1100385s  スラムダンク奨学金2期生の2人(早川ジミー、谷口大智)は去年6月に奨学金での留学期間を終え、去年夏にアリゾナにあるアリゾナ・ウェスタン大というジュニアカレッジに進学、勉強とバスケットボ-ルに励んでいる。ここで成績を伸ばし、選手としても成長し、2年後のNCAA編入を目指しているのだ。

 彼らの現在の状況については、近いうちに現地で取材してから書こうと思うけれど、今回は、彼らが今の大学での生活を始めた直後に早川選手が某所に書いていたことを、本人の許可を得て転載させてもらうことにした。
 実は早川選手、自分でも書いているけれど、中学と高校のときはまったく勉強しなかったらしい。それが留学が決まってから英語を猛勉強し、留学して半年もたたないうちにサウスケントを訪ねたら、すでにネイティブ並の英語を話せるようになっていた。意外と努力家でマジメ。あのオチャラケた(誉めてます)言動にだまされてはいけないのだ。
 この文章からも、そんな彼のマジメさとオチャラケ具合が両方うかがえる。ま、色々と解説するのもヤボなので、とにもかくにも、彼の思いを読んでみてください。

 あ、解説はヤボと書いたけれどひとつだけ。勝手な推測だけど、これは人へのアドバイスの形を取りながら、実は彼自身の決意表明なんじゃないかなと思うのだ。…と軽くプレッシャーをかけてみる(笑)。

*  *  *

以下、2010年8月、早川ジミー記

P1100380s  アメリカにきて思ったけど、やっぱジミーはバスケが大好きみたいですね。今お金かなりかかってるけど、この俺が今してる経験にくらべたら安いもんだと思います。
 大事な経験はお金じゃ買えないけど、自分が前にちゃんと進み続けるだけで自分の手でつかめる。0円でも価値のあるもの、それが経験なんだと思います。

 みんな、小学校、中学校、高校で、ときに「こんなことしても意味ないじゃん」って思ったことはない? たとえば勉強。数学、国語、音楽、社会、家庭科、英語、体育、その他。俺、中学や高校のとき、勉強という意味を知らなかった。
 人それぞれ生き方はあるけど、この教科どれか一つに今みんな出会ってるんだよね。もし就職するなら、このどれかと出会わなければならないのです。人間の幅を広げるためにいろいろできたほうがいい。世の中に意味ないことはないよ。
 「こんなことしても意味ない」って思うとき、それはすべて意味がないことじゃなくて自分が知らないことなんだよ。自分が知らないくて、ただ単に自分の嫌いなことだからやりたがらなくて逃げてるだけなんだよね。意味わかんないって言葉を使って逃げてるだけなんだよね。

 俺はアメリカにきて、人間やっぱ自分にとって理不尽なことや、嫌いなことをがんばらないと成長せきないんだなって思った。俺もたまにはめははずすけど、やるきはやるんだよ。嫌いなことや理不尽なことを投げださなかったから、今の我慢強さや少し大人な考えることができてるんだよ。
 みんなも、自分な嫌いなことや理不尽なことを投げやりにしないでがんばってみてもらえるかな。自分にとって意味ないって思ってることほど、重要でそれが自分の人生を変えるチャンスかもしれないんだよ。意味のないって思ったことをやれば、後々やってよかったって思うことあるかもしれない。それは自分にとってプラスだし、後悔しないよ。
 やればやるだけチャンスは生まれるし、やったことは失敗であって、やらなかったことが後悔だよ。やったことに関しては失敗も次につながるよね。でも後悔は、後悔して終わっちゃうよ。それだけは避けよう。

 さーーー、ジミーも新しい大学生活、がんばります。みんなも仕事、家族、友達、自分の趣味、遊び。いろいろ楽しみながらやってください。

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 ちなみに、スラムダンク奨学金は現在第5期生を募集中(募集要項など詳細は奨学金の公式サイトにて確認してください)。奨学金の創設者で主催者でもある井上雄彦氏の奨学金にかける思いは、cagerに掲載されているインタビュー後編(PDFファイル)で詳しくお聞きしてます。

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2009年12月 1日 (火)

ランクイン

P1090532s 結局、76 Classic決勝戦でポートランド・パイロッツはウェストバージニアに66-84で敗れ、大会優勝はならず。
 それでも、強豪揃いのこの大会で自分たちの試合をできたということ、その結果準優勝になったことはとてもいい経験になったようだ。
 決勝後の記者会見でエリック・レベノHCが言っていた言葉がよかった。
「我々にとって、すばらしいウィークエンドだった。それは結果を元に言っているのではなく、この間に自分たちについて学んだこと、得たことからそう思う。このチームはユニークないいチームだけれど、(シーズンが終わるまでに)特別なチームにしたい」

 大会翌日、11/30に発表になったAPランキングでパイロッツは25位にランクイン、チーム史上初めて1958-59シーズン以来51シーズンぶりにトップ25入りを果たした。
 その夜に伊藤大司選手に電話で話を聞いたのだが、選手たちは初のランクインに浮かれているわけもなく、あくまで目標はWCC(ウェスト・コースト・カンファレンス)トーナメントで優勝してNCAAトーナメントに出ること、という姿勢なのだという。そんなところ、レベノHCの考えが浸透しているチームだなぁと思う。4年生が多いだけに考え方がしっかりしているのかもしれない。

 ところで、上の写真。ウェストバージニア戦が終わった後の両チーム挨拶の一場面。ウェストバージニアのHC、ボブ・ハギンズが、伊藤選手のところで立ち止まり、何やら話しかけていた。何なのかと思って、あとから伊藤選手に聞いたところ、「モントロス・クリスチャン高校の練習を見に行ったときに、君がいたのを覚えているよ」と言われたのだとか。

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2009年11月28日 (土)

シンデレラ?

 本題の前に。トップページや掲示板にも書いてますが、twitterでの発信を始めました。ブログの右にも最新のエントリー3つを表示していますが、短い文章なので、連続して4つ以上書き込んでいることもあります。もっと見たいという方はtwitterのサイトで見てくださいね。

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P1280819s  伊藤大司選手が所属するポートランド大が、11/26からアナハイムで行われているホリデー・トーナメントのひとつ、"76 Classic"でメジャー・カンファレンスのチームや全米25にランク入りしているチーム相手に連勝し、NCAAファンや関係者から注目を集めている。何しろ、1回戦では今季の戦力はダウンしているとは言うものの、準地元の名門UCLAに74-47の圧勝(メディアの中からは「"massacre"(虐殺)だ」との声もあったほど圧倒していた)、2回戦(準決勝)ではESPN/USA Todayランキングで18位、APランキングで22位のミネソタ大相手に試合開始から終始リードを取り、61-56の勝利をあげたのだ。大会前週にPAC10のオレゴン大にも勝利していて、これでシーズン開幕から5連勝。全米的にはあまり知られていない無名のポートランド大の金星に、早くも「シンデレラチーム」と評する声も出ている(個人的には、シーズン序盤のこの時期に「シンデレラ」の称号は早すぎると思うのだけれど)。

 面白いのは、まわりのそんな盛り上がりに対して、ポートランド・パイロッツの選手たちが思ったほど浮かれていないこと。もちろん、試合に勝ったことには喜んでいるけれど、その一方で、「勝って当然」と言うような静かな自信が感じられるのだ。決して傲慢なのではなく、ただ単に自分たちのチーム、自分たちのプレー、自分たちがやってきた練習に自信を持っている、という感じ。

 ミネソタ大に勝った後の記者会見でこんな場面があった。ミネソタ大に勝ったことで、月曜に発表する最新版ランキングで全米トップ25入りする可能性が高いことについて聞かれたロビン・スメルダース(#12)、表情を変えることもなく、「それだけのことをしてきたから(ランク入りしても)驚かない」と言ったのだ。これには隣に座っていたTJ・キャンベル(#44)も思わず苦笑していた。でも、これが今のパイロッツの選手たちの本音でもある。その話を伊藤選手にしたところ、彼も笑っていたけれど、でも、それが今のチームのメンタリティだとも言っていた。ランク入りの強豪相手でも勝てるだけの練習をしてきたという自負があるのだ。テレビ放映で映していた試合前のロッカールーム風景でも、エリック・レベノHCが、「きのうのUCLA戦P1090350sの勝利も君たちは自分たちの力で勝ち取った。きょうの試合も、この先のシーズンも自分たちで勝ち取るんだ」とスピーチしていた。
#ちなみにレベノHCはかつてJBLの日本鉱業でもプレーしていたことがある。彼がポートランド大のHCになって今季が4年目。低迷していたチームを4年でこれだけのチームに作り変えた彼の手腕はすばらしい。これだけの結果を出していると、近いうちに強豪校に引き抜かれるんじゃないかな(伊藤選手が卒業する前でなくてよかった)。レベノコーチがチーム作りの哲学などを語っている映像がありましたので、参考まで。

 試合を見ていても、4年生中心の経験豊かなチームらしく、とにかく慌てない。ミネソタ・ゴーファーズ戦では後半が始まってすぐと、試合終了間際に相手に流れがいったと思ったときがあったけれど、どちらのときも自滅することなく、きっちりと入れ返して流れを抑え、呼び戻していた。ベテランのチームだけに、色々なことに対応できるようで、試合中、それまで一度もやったことがないプレーをタイムアウト中の指示だけでこなしたり、それほど練習していなかったというゾーンディフェンスを効果的に使ったり。こういうところで4年間の継続性というのが出てくるんだなぁというのを実感。4シーズン前の、全然勝てないチームから見ていただけに、こんな試合を見ることができたのは感無量。

P1090328s  さて、そんな中でこの2試合、伊藤選手がどんなプレーをしていたのか気になる人も多いですよね。控えポイントガードとしての出場で、 UCLA戦は12分出場、アシストとファウルが1つずつ。ミネソタ戦も12分出場でファウル1つ。スタッツに残るプレーはほとんどしていないのだけれど、スランプだった昨シーズンに比べるとずっといいプレーをしてチームに貢献していた。スタッツで0が並ぶということはターンオーバーも0ということで、これは控えのPGとしては重要。伊藤選手がボールを持っていると見ていても安心できます。3年連続でチームメイトの投票でキャプテンに選ばれているように、チームメイトからの信頼は厚く、リーダーシップは抜群。大学最後のシーズン、NCAAトーナメント出場という目標を達成できるように、彼らしいプレーで悔いのないシーズンを送ってほしい、と思う。 

 76 Classicも明日が最終日。決勝の相手は、ESPN/USA TodayとAPのどちらでも8位にランクインしているウェストバージニア。アメリカでは19時(PST)からESPN2で放映されます。

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2009年10月 9日 (金)

続シーズンイン

 9/14の「シーズンイン」記事の続き。少し間があいてしまったので、元記事に追加せずにこっちに新しくアップします。

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P1080903s  すでに1ヶ月も前のことになってしまったけれど、9月、バスケットボール殿堂式典の取材の後に、少しだけ足を伸ばして、スラムダンク奨学生の早川ジミー&谷口大智の2人が留学しているサウスケントまで行ってきた。今月24日発売の月刊バスケットボール12月号にもレポート記事を書いたので、ここでは記事に書ききれなかった話をいくつか紹介。

■早川&谷口の2人と日本語で話していたら、チームメイトの一人が早川選手に「ジミー、君はいったいどこの出身? ブラックじゃないのか?」と聞いてきた。お父さんがアメリカ人の早川選手、確かにブラックの血が流れているのだからそう言われても不思議ないのだけれど、これは見かけだけの話ではないのだ。何しろ彼、いつの間にか流暢な、発音もネイティブかと思うような英語を話すようになっていたのだ。これにはびっくり。何しろ去年4月、トライアウトでサウスケントに行ったときには英語はほとんど喋れなくて、お父さん(日本語ペラペラ)ともいつも日本語で話していたのだとか。留学が決まり、高校バスケを引退した後に勉強したり、映画を見たり、英語を話す友人と積極的に交流したらしい。「昔からお父さんが話す英語はわかった」とも言っていたので、脳の後ろのほうに眠っていた英語が、勉強したことで呼び起こされたのかも。

■取材2日目は日曜だったので練習は休み。学校から車で30分ぐらいのところにあるスーパーとショッピングモールに行った。何しろ、サウスケントは車がないと買い物すらいけないような場所にあるので、必要なものはだいたいこのモールとスーパーで買出し。たまの気分転換でもあるようで、前日にはコーチから「羽を伸ばしたいのはわかるけれど、チームの一員である自覚を持って行動するように」なんていう警告もされていた。もちろん、彼らはまだアメリカの運転免許も車も持っていないから、いつもは学校が定期的に出してくれる大型バスに乗って行くのだとか。モールでは、シューズやスポーツウェアをだいぶチェックしていた。特に身長2m近い谷口選手は、日本ではなかなかサイズが合うものを買えないので、こうやってふつうにサイズが合うものが売っているのが嬉しい、とのこと。そう言いつつ、結局、この日はモールでは何も買わず。

■モールに行く道中に聞いてびっくりした話。早川選手、3年のインターハイ前の九州大会で膝を故障、なんと前十字帯が切れていたのだとか。ふつうなら手術して、復帰するまで1年近くリハビリをしなくてはいけないぐらいの怪我なのに、すぐに普通に歩けるようになったこともあり、トレイナーや医者に診てもらって相談した結果、手術もせずにリハビリ。結局、1ヶ月後のインターハイの初戦直前にチーム練習に復帰し、インターハイは普通に戦ったのだという。早川選手いわく、「稀に手術しなくても、前十字帯がなくても大丈夫な人がいるらしいで、僕もそうみたいです」だとか。実際、今もそのまま手術はしていないけれど、問題なく人並み以上に動けて跳んでいて、まったく影響は感じられない。

P1090028s_2 ■ピックアップゲームでは2人が入ったチームは全勝。勝ち残りだったので、ずっとプレーしていた。2人ともハッスルプレーやリバウンド、シュートなどで勝利に貢献していて、コートサイドで見ていたコーチも2人のプレーには嬉しそう。
  後からそんな話をしていたら、早川選手、「でも、あれは日本だったら全部ファウルにとられてましたよね」とのこと。日本でプレーしていたときには、すぐに ファウルを吹かれてしまうので、思い切りプレーできずにいたのだという。そういう意味では、身体を張ったプレーを思い切りできるアメリカは彼には向いてい るのかも。

■おみやげに月刊バスケットボール10月号を持っていったら、谷口選手が大喜び。というのも、そのインターハイ特集号には妹さん(大阪薫英の谷口菜生)が載っていたのだ。

■その谷口選手、小学生の頃から191cmあったため、昔はだいぶあちこちのメディアに取り上げられて、テレビ取材などもされていた。そのときの話になったら、「短パン履いてランドセルしょって、黄色い帽子をかぶって『行ってきます』って出て行くところがテレビで流れていて、今、あれを見るとちょっと恥ずかしいですね」と笑っていた。当時からまわりとは一回り以上サイズが違ったわけで(自分でも「あれは反則っすよね」とも)、その頃からお父さんとアメリカに行くことを話していたのだという。さすがに小学生の頃はその勇気は出なかったけれど、その後も「背が高いから勝てる」と言われるのが嫌で、同じような身長の選手と戦うことができる場としてアメリカでやってみたいという気持ちはずっと持っていたのが、今回の留学に踏み切った一つの理由らしい。

■谷口選手は、バスケ以外のことではどちらかというとノンビリ屋? 勉強は「苦手」だそうで、「バスケほど熱く語れない」とも言っていた。でも、アメリカでバスケを続けるためにはそうも言っていられない。そんな彼を早川選手が「勉強しないとヤバイよ、ダイチ」とハッパかけていて、この2人、なかなかいいコンビ。励ましを受けて谷口選手も、「(勉強も頑張るというのを)口だけにしないように、ここで言って、それを書いてもらえれば」と言っていた。なので、励ましの意味もこめてここに書いてみた(笑)。

* *

 最後に、下の写真はもしかしたら本邦初公開かな? 去年4月のトライアウトのときの写真で、当時、留学したばかりだった並里選手もいっしょに写ってます。この時点では、まだ谷口、早川のどちらか一人だけになる予定だったのだけれど、2人ともいいプレーを見せてコーチに評価されたこともあり、2人揃って合格ということになったのでした。

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2009年9月14日 (月)

シーズンイン

 スプリングフィールドでの殿堂の取材を終えた後、車を少し走らせ州を越え、この2日間は、スラムダンク奨学金2期生、谷口大智&早川ジミーの2人を取材してきた。
 チームも今週から正式に練習開始。土曜は、シーズン頭の身体測定とピックアップゲームがあった。詳しくは、時間ができてからゆっくり書き足す予定。今はとりあえず、元気な表情の仲のいい写真を1枚だけアップ。

P1090063s_2

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2009年8月 8日 (土)

タイミング

P1070005s  中川和之が、JBLの三菱電機ダイアモンドドルフィンズ入りを発表した。彼のブログによると、Dリーグからもドラフト候補選手として契約のオファーがあったというが、それを断っての三菱入りなのだという。それを聞いて、今まで何年もかけてアメリカ挑戦をしながら、なぜDリーグのドラフト候補に入るチャンスをみすみす逃すのかと思った人もいることだろう。

 中川は去年の夏から秋にかけて、「今年がアメリカ挑戦の最後。ここでDリーグにも入れなければアメリカ挑戦は諦める」と言っていた。ところが、去年は夏前の故障の影響もあってDリーグ入りはならず。秋のチームトライアウトではかなりいいところまで行ったらしいが、それでも結局はDリーグには入れず、bjリーグでプレーした。
 そして今年6月、今度はDリーグに入るためではなく、単に選手としての実力を磨くためにDリーグ・プレドラフトキャンプに参加。その結果、去年は得られなかったドラフト候補としての契約オファーを得たわけなのだから皮肉なものだ。

 それにしても、たとえ去年の時点でアメリカ挑戦は諦めたと宣言していたにしても、Dリーグからのオファーがあったら受ければいいじゃないか、なぜ去年は目指していたものを今年は断るのか、と思う人もいるだろう。

 実は、今年6月、プレドラフトキャンプを見に行ったときに、中川に「もし、これでDリーグからオファーがあったらどうするのか?」と聞いてみた。去年よりコンディションがよく、いいプレーも見せていたので、まったく可能性がない話ではないと思ったのだ。しかしその時点で中川は、きっぱりと、「それでも今回は受けるつもりはない」と言っていた。
 それには理由があった。労働ビザだ。去年までの中川は、以前取った選手としての労働ビザを持っていた。その期限が切れる前にDリーグに入りたい、というのが、去年「最後の挑戦」と口にしていた大きな理由だったのだ。
 もちろん、Dリーグのロスター入りすればDリーグで労働ビザを取ってもらえる可能性はある。実際、田臥もDリーグの選手として労働ビザを取ったこともあった。とはいえ、あのときの田臥はすでにNBA経験があり、Dリーグでも経験がある選手だ。今の中川とは立場も違う。Dリーグ経験もなく、Dリーグチームのロスターに入るかどうか、ぎりぎりの線上にあるぐらいの選手である彼に対して、Dリーグが時間と経費をかけて労働ビザの手続きをしてくれるのか。手続きをしてくれたとして、申請してから許可が下りるまでにどれぐらいの日数がかかるのか。そういったことをもろもろ考えると、あまり現実的な選択肢ではない、そう中川は判断した。
 これが、Dリーグではなく、NBA入りのチャンスだったらまた考えも違っただろう。中川にとってのアメリカ挑戦は最終目標は常にNBAであり、DリーグもNBAへの入り口として選んだ選択肢だったのだ。
 言ってみれば、タイミングがほんの少しだけずれてしまっただけ、とも言える。それでも、ここできっぱり諦められるのは、ここまで彼が本気で挑戦してきたからなのだろう。彼の選択をもどかしく思う人もいるかもしれない。「そんな細かいことはあとから考えればいいから、とりあえずチャンスがあるならやってみればいいのに」と思う人もいるかもしれない。しかし、何年もアメリカでやってきた彼だからわかる現実もあるのだ。
 同じようなことは、コロンビアを出てレラカムイに入った松井啓十郎にも言える。ノースカロライナ大ではなく、コロンビア大を選んだときの選択(このあたりのことを含めて、彼の大学4年間については月刊バスケットボール10月号に記事を書いてます)、そしてコロンビアでの4年を終えた後にレラカムイに入るという選択。アメリカで、高校時代にトップのレベルも経験したからこそ、彼はそういう選択をしたのだと思う。
 遠くから見ていると、目標は近くに見えるように錯覚することがあるが、実際に中に入って経験する選手たちは、その距離を身をもって実感しているのだ。

 そういえば、NBAサマーリーグの頃、ラスベガスで、とある人と日本人選手がNBAに入る可能性について話したことがある。この夏も、何人かの日本人選手たちがNBA挑戦を口にし、実際に行動に移していたけれど、現実的にどれぐらいの可能性があるのか。個人的な意見だが、正直なところ今の時点ではどの選手の可能性も10%もないと思っている。数字として出してもあまり意味がないと思いながらあえて書いてしまうと、現実的に考えると、今挑戦している日本のトッププレイヤーたちでも1%~5%ぐらいではないかとすら思う。
 だから、その現実を感じて別の道を選んでも、それはそれで悪い選択とは私には言えない。ただし、常に上達したい、成長したいという気持ちだけはどこに行っても持ち続けてほしいと思うけれど。

 最後にひとつ記しておきたいのは、これは、可能性が低いとわかっていながら(あるいはもしかしたら現実よりも可能性が高いと思い込んで)NBAに挑戦する選手たちに「現実を見たほうがいい」と言うつもりで書いたわけではないということ。それだけ厳しい中で、厳しいとわかりながら挑戦を続ける選手たちには敬意を感じるし、メディアという立場を離れて、応援したいとも思う。それに、それぐらい強い気持ちがなければ、1%を100%にすることはできないのだ。
 そういえば、前に、知り合いのNBAのスカウトが言っていた。「NBAに入るは別に世の中の人たち全員に認めてもらう必要はない。1人のヘッドコーチ、1人のGMが認めてくれればいい」と。

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2009年7月24日 (金)

Second City

P1070525s  今週は、懐かしのこの街(左)に来てます。目的は、オバマ大統領に会うため…のわけもなく、ピザや焼肉(*)を食べるためでもなく(両方とも食べたけれど)…。

  本当の目的はAttack Athleticsでワークアウトをしている竹内譲次選手の取材+トレーナーのティム・グローバーの取材。そう、懐かしの街とはシカゴです。

 譲次選手のブログにも、少し前に説明があったので知っている人もいるかと思うけれど、一応書いておくと、Attack Athleticsは、元マイケル・ジョーダンのトレーナーで、現在はコービー・ブライアント、ドウェイン・ウェイドなど多くのNBAトッププレイヤーをクライアントに抱えるティム・グローバーが経営するトレーニング施設。
 以前、ジョーダンがウィザーズで復帰する前にワークアウトしていたのは、Hoops the Gymという体育館だった。これもコートが4面ある立派な施設だったのだけど、すでに建っていたジムを買い取ったため、ウェイト・トレーニングの部屋が狭かったり、不便することも多かったようだ。そこで、ティムは2年ほど前に専用の施設を建設。それが、今回、譲次選手がトレーニングしているところだ。
P1070751s  バスケットボール・コートが4面あるほか、様々な器具が置かれた広いウェイト・トレーニング・ルームがあり、スキル・コーチからストレンス・コーチ、メディカル・トレーナーまで、バスケットボール選手がトレーニングで必要なものやスタッフが揃っている。コートもウェイトルームも広々と使えて贅沢な環境だ。最近では、バスケットボール選手だけでなく、フットボール選手や野球選手たちもここでワークアウトをするようになったようで、きょうも、譲次選手がシュート・ドリルをしていた2つ隣のコートでは、NFL選手たちが重いメディソンボールを使ったトレーニングをしていた。
P1070591s  もちろん、今回の譲次選手も含め、ここでトレーニングする選手たちはみんな、その環境やサービスに見合った料金を払っているわけだけど、アメリカではNBA選手だけでなく、大学生選手たちも、こうやって自己投資してトレーニングすることが珍しくなくなってきている。

 ちなみに、譲次選手、ティムが書いて日本語版も出版されている「ジャンプ・アタック」の本を高校の頃に読んだことがあったらしい。あの日本語版の出版は私も仕事として手伝ったこともあって、しみじみと時の流れを感じてしまった。と同時に、これまでやってきた仕事が今に繋がっているような感覚を持つことができて嬉しかったな~。

 代表活動が続いている時期に、トレーニングのためとはいえ、途中で抜けていることに対しては賛否両論があると思う。チームでやることを大事にする日本だけに批判の声もあるかもしれない。譲次選手も、もちろんそういったことは承知の上で、それでも、これが今の自分、そして今後の代表チームにも必要なことと判断して、この3週間、シカゴでトレーニングを続けてきたという。
 チームの連携を高めていくことももちろん必要だと思うし、体格的に劣る日本にとっては勝つためには必須なのかもしれない。でも、フィル・ジャクソンがブルズのHCだった頃によく言っていたように、「群れの強さはオオカミであり、オオカミの強さは群れ」(原典はラドヤード・キプリングの「続ジャングルブック」)なのだ。これを日本代表に置き換えると、「日本代表の強さは日本人選手であり、日本人選手の強さは日本代表」。群れ(チーム)としてまとまるから強い、という部分は理解しやすいかもしれないが、注目は個々の狼(選手)の強さが、群れ(チーム)になるという部分。つまり、個々が強くなければ、全体も強くなれない。そのためには、時に個が群れを飛び出ることも必要なんじゃないかと思うのだ。最近、ラスベガスとシカゴで続けて日本の選手を取材していて感じたことでもある。

 さて、譲次選手、右の写真では、ワークアウトP1070607s_4の 合間で若干メローな雰囲気(?)をかもし出しているけれど、実際には毎日、午前と午後の2回練習(週に4日は、午前の練習の後にウェイトも)をアグレッシ ブに頑張っている。そのハードワークぶりに、ここで働くスタッフからも「この施設はいろいろと揃っているけれど、それを有効活用しない選手もいる。そんな中で、君の毎日の頑張りに、僕らスタッフは元気をもらった」と言われたほどだった。さて、その成果やいかに。まずはアジア選手権。ちなみに、今週の取材中、譲次選手と朝と昼の練習前に会って最初にする会話のひとつは、その日のジョーンズカップでの日本戦のこと。毎日、日本協会のジョーンズカプサイトでで結果チェックしていたようです。

* (補足1)シカゴ・ピザは有名だけど、なぜシカゴで焼肉?と思う人のために補足。シカゴには、かつて住んでいた頃によく通っていた、シカゴ・カルビという焼肉屋さんがあるのです。美味しいのと、夜遅くまで営業しているので、日本人大リーガーの間でも大人気…というのは有名な話だけど、実はバスケ選手もけっこう行ってます。日本人選手だけでなく、スコティ・ピッペンやスティーブ・カーも。田臥選手も、かつてNBAに入る前に行ったことがあるのだけど、そのときは、色紙は「NBA選手になったら」なんて言いながら、書かなかった覚えが。譲次選手は今回、サイン色紙を書いてきたので、壁に飾られているかも。

(補足2)タイトルのSecond Cityは、シカゴの街のニックネームです。

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2009年7月17日 (金)

サマーリーグ・デビュー&その後

P1070364s  7/15のNBA.com Japanの記事にも書いたように、7/15のサンズ対ラプターズの試合で、川村卓也選手がNBAサマーリーグ・デビューを果たした。試合に出たのは3Qの残り7分19秒から2分55秒まで、4分24秒。試合に出てきたときに、会場のあちこちからパラパラと拍手があったのは、日本人の観客かな?

 とにかくパスを受けたらシュートを打つということだけを考えていたという川村選手、残り6分45秒に右コーナーで待っているところに、春からLAでいっしょにワークアウトをやった仲間でもあるゴーラン・ゴラギッチからパスがくると、躊躇なくシュート! 残念ながら少し距離が短く、リングの手前に当たって外れ。
 打ったシュートはその1本だけ。記事でもそれ以外のことはほとんど書けなかったけれど、その後は、ウィングでパスを受けてトップに戻したのが1回。トランジションでサイドでパスを受けて、真ん中を走りこむロペスにパスするも、ロペスがキャッチできずにターンオーバー(川村ではなく、ロペスのキャッチミスとして記録)。
P1070367s  ディフェンスでは相手の速攻でウィング位置の選手のマークに行くも、上をパスを通され、デマー・デローザンが受けてアリーウープ・ダンク! その少し後に、相手のトランジション・プレーを止めようとしてファウル。そうそう、攻守でマッチアップしていたのはこの日20得点のデローザンだったのだけど、とりあえず出ている間に決められたのは上のアリーウープ1本のみ。もう1本ジャンプシュートを打たれたけれど、これはきちんとチェックを入れていて、シュートも外れた。
 …と、まぁ、こんな感じの4分24秒だった。試合に出たのはここだけ。記録上は4分24秒出場、3ポイントを1本打ってミス、ファウル1つ。

 試合後、ミーティングを終えて出てきた川村選手、開口一番、悔しそうに「何もできませんでしたね」。とにかく、これまでに経験したことがないぐらい頭真っ白状態だったらしい。シュートだけはどんどん打っていこうと思っていたそうだけれど、1本しか打てず、「もう少し打てたかな~」と悔しがる。そして、しきりと「また次、出れたら打ちます」「次のゲームでしっかりできるように」「次のゲームはもうちょっとまわりを見ながらプレーできるかな」と、次の試合に向けての意気込みを語っていたのだけれど…。

 察しがいい人なら前の文章を読んで感づいたかもしれないけれど、試合から一夜明けてきのう(7/16)、川村選手、サンズのサマーリーグ・チームからカットされてしまった。サマーリーグといえども、カットされることがある世界。特にサンズは、サマーリーグに連れてきていたロスターが15人と多かったから言われてみると仕方ないかとも思える。カットされたのは川村選手だけでなく、あと2人の選手、計3人がカットされた。

 カットされたあとに川村選手とも会って話を聞いてきたのでまた後で別記事としてアップするかも。ひとつだけ、そのときに川村選手が言っていた言葉。

「きのう、(ラプターズとの)試合が終わった後に『また次のゲーム、頑張ります』って言ったんですよね、あれはこの世界をまだまだ知らない人間の発言だったなって思った。(中略) 次ってだめですね、やっぱり。こういう世界では、その場、その場で自分のプレーを出さないとだめだっていうのを、きょうはリアルに感じました」

 川村選手も、田臥選手の昔のドキュメンタリーなどをよく見ていたそうで、頭ではわかっていたつもりだった世界らしいけれど、やっぱり自分で経験してみないとわからないことってある。川村選手も「勇太さんの苦労っていうのを自分の肌で感じれて。自己満だけど、勇太さんの気持ちを少し、100%のうち1%かもしれないし、それ以下かもしれないけれどわかることができた」と言っていた。

* NBA.com Japanにも記事を書いたので、もう少ししたら掲載されるはず。そちらの記事には、サンズのGM補佐のコメントもあります。

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2009年7月13日 (月)

ベンチ入り

P1070283s

 サマーリーグ期間中、川村選手の試合後コメントを中心とした記事をNBA.com Japanのサマーリーグ・ページに寄稿することになりましたので、そちらも見てみてくださいね。
 第1戦の記事はこちら

 さて。その記事や当日掲示板でも書きましたが、懸念されていたLetter of Clearanceの書類手続きは試合当日の朝に完了。これで川村選手、初戦からベンチ入りすることができるようになった。
 参考までに、手続きの流れはこんな感じ。
Suns→NBA→FIBA→日本バスケットボール協会→ブレックス→日本バスケットボール協会→FIBA→NBA→Suns
 聞いた話ではFIBAから日本バスケットボール協会に書類リクエストの連絡が入ったのが日本時間月曜夕方6時頃。この時点ですでに就業時間外なのだけど、なんとか初戦に間に合うようにと、それからブレックスに連絡を取りブレックスの了解を得て夜のうちにFIBAに書類を戻したのだとか。川村選手が初戦からベンチ入りできた裏には、そんな隠れた協会担当者のファインプレーがあったのだ。NBAはアメリカ、FIBAはスイス、そしてブレックスが日本と、時差があるので書類の手続きひとつでも時間がかかる。しかもタイミング悪く週末を挟んでしまったのでなおさら。


P1070290s  試合前、サンズのサマーリーグ・チームのHCをしているダン・マーリーに川村選手が試合に出るかどうか聞くと(この時点では手続きが完了しているかどうかを知らなかったのでそういう聞き方をしたけれど、ふだん、選手のプレータイムがあるかどうかを試合前にコーチに聞いたりはしないです)、「書類手続きは完了したけれど、(書類手続きを待つ間の)3日間、練習に参加できなかったので、きょうの試合には出ない」とのこと。まぁ、でも試合前にチームメイトといっしょにシューティング練習ができるだけでも嬉しかったようだ。試合中も、味方の好プレーにはベンチから立ち上がって応援する姿もあった。

 試合後、NBA.com Japanのサイトに掲載するコメントなどを取材。さらには、サマーリーグの取材に来ていた旧知の台湾人記者に頼まれて、彼らからの質問もいくつか聞いたのだけど、その中で自分をNBA選手にたとえるとジェイソン・カポノ、憧れの選手はコービー・ブライアントと言ってました。カポノの名前がすらっと出るということはよくNBAを見るのかな?

 ちなみに、この台湾の記者は純粋にサマーリーグ取材のためにラスベガスに来ていただけで、日本代表がラスベガスに来ているということは知らなかった模様。まぁ、公式には発表されていない練習試合だから当然だけど。12日、試合の時間変更のために1試合観戦することになった代表チームが記者席の前を通ってスタンドに座ったことで初めて日本代表の存在に気づいたようだ。ふだんはまっすぐ地下のコーチに行って、まっすぐ地下から帰るだけだったからね。
 彼ら台湾の記者たちも15日に台湾に帰国、そのままジョーンズ・カップの取材だそうで、日本代表チームにも興味津々。スタンドで観戦する姿を撮影していた。そうそう、彼らによるときのう(14日)の時点でジョーンズ・カップの主催者側から竹内譲次選手がジョーンズ・カップのロスターから外れるというプレスリリースが出たとのこと。ちなみに、現在シカゴでトレーニング中の譲次選手はジョーンズ・カップ後、日本で代表に合流の予定。

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2009年6月21日 (日)

Dリーグ・プレドラフト・キャンプ

P1060983s   この週末にLAで行われたDリーグ・プレドラフト・キャンプ、会場がうちから車で15分ほどの場所だったので、誰か日本人選手が参加していないかと思い、原稿書きの合間に行ってきた。
  今年、参加していた日本人は、bj高松ファイブアローズの中川和之と、bjリーグ審判の大河原則人(ゴンゾー)の二人。
 中川選手は2年連続の参加。前日に彼のブログを見たらアメリカに修行に出ると書いてあったので、もしやと思ったら、やっぱりいた。故障明けだった去年のキャンプよりも身体のキレがあり、いい感じ。特にきのう見た試合は攻守になかなかインパクトを残す活躍をしていた。ただし、本人いわく、今年はDリーグに入るために参加というよりは、自分の成長のための参加らしい。どちらにしても、特にガードの選手にとって、このキャンプからDリーグのトレーニングキャンプ招待にたどり着くのはかなり難関。キャンプのレベルが特別高いというわけではなく、Dリーグのコーチたちが、ここでガードを見つP1060949sけようとあまり思っていないから。ガードは選手層が厚いから一般公募で探す必要がないのだ。
 アメリカ人の中にもbjでのプレー経験がある選手が何人かいた模様。ひとりは、琉球ゴールデンキングスのクリス・エアー。背番号は去年と同じく身長順につけられていたのだけど、エアーは200人中最長身だったので200番をつけていた。

 このキャンプ、2年連続で見たけれど、得られるものに比べると値段が少し高め(確か$550だったかな)。参加費に2泊分のホテル代&朝食代も含まれていたことを考えればそれほど高くはないのかもしれないけれど、現地でキャンプだけ参加する人の割引は一切なし。たぶん今回、LAという参加しやすい場所だったのにもかかわらず、日本人の参加が少なかったのはそのためだと思う。
 そういえば、選手以外でもbjリーグでコーチをしている(&していた)人をチラホラと見かけた。スカウティングのために来ていた人と、自分自身の就職活動(?)のために来ていた人と。そうそう、10年以上前に引退した元NBA選手が、中川選手に「日本でコーチをしたい!」と売り込む場面もあった。
 7月にクリニックで来日予定の、レイカーズアシスタントコーチ、ジム・クレモンスの姿もあった。友人のコーチを迎えに来たのだとか。「(チーム主催の)優勝パーティー、どうだった?」と聞くと、「僕は若いときでもあまりパーティーは好きではなかったからねぇ…」と言っていた。マジメな人なのだ。

※ジム・クレモンスのクリニック詳細は掲示板[3565] に掲載しています。少し下のほうに行ってしまっているので、番号で探すか、掲示板にある検索欄にジム・クレモンスと入力して検索実行してください。

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