カテゴリー「NBA」の記事

2011年3月 9日 (水)

笑顔

 2月のオールスター中、記者席にいたときに、別セクションの記者席に座っているライター仲間、ピーターGからメールが届いた。タイミングよく、こんな写真が撮れたよ、と。好きに使っていいと言ってもらったのだけれど、特にハワードの記事を書く予定もないし、かといってツイッターで載せるだけだともったいなぁと思っているうちに、すっかり忘れてしまっていた。
 そんなわけで、いまさらになってしまったけれど、とてもいい写真なのでまずはブログに掲載(雑誌に掲載したい編集者の方などいたら連絡ください(笑))。ハワード、最近は累積テクニカルファウル数が16になって1試合出場停止処分を受けたことにフラストレーションを感じたり、来年夏にフリーエージェントになったらどこに移籍するかといった噂話の多さに辟易としているらしい(Yahoo記事)けれど、こういう笑顔はなくさないでほしいなぁ。

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2010年12月31日 (金)

大物新人にドラクエを思い出す!?

 ひとつ前のエントリーでは、やられ役のような書き方をしたブレイク・グリフィンだけれど、実際、彼にはこの先、こういう経験をたくさんしてほしいと思っている。…って、なんだか偉そうな言い方だけど、やられれば、やられるだけ成長できる選手だと期待しているからそう思うのだ。

 少し唐突なことを書くと、個人的にグリフィンを見ているとドラゴンクエストにはまっていた日々を思い出す。なぜって? その理由は少し後で説明する。

 開幕戦から今まで、15試合以上グリフィンのプレーを生で見てきて、何よりも驚くのは彼の成長のスピードだ。開幕戦は、アリーウープばかり狙っていて、ポストでポジションを取ることもほとんどなかったのが、試合を追うにつれてポストアップもするし、ボールを持ってからもスピンムーブからのレイアップ(ダンクと並んで、今の彼の得意技のひとつ)やターンラウンド・ジャンパーなど色々なムーブを見せるようになった。ダブルチーム、トリプルチームで囲まれた時のパスアウトもよくなってきた。辛抱強さも見せるようになったし、試合の中でどうペース配分をすることもできるようになった。少し前には弱点だと思っていたところが、数試合後には修正されているのだ。その成長ぶりを見るのは、胸がスカっとするあの豪快ダンクとともに、今シーズンのグリフィンを見る楽しみのひとつだ。

 まだ新人。もちろんまだ失敗もするし、ミスもたくさんある。グラント・ヒルから比べたら、まだ穴だらけでもある。でも、若い選手の場合はそういった部分も含めて魅力なんだなと、最近、つくづく思うのだ。弱点があるということは、成長する余地があるということ。そして、それは成長の過程を見る楽しみがこの先にあるということ。選手として完成形に近づいているベテラン選手の巧さとはまた別の魅力がある。

 グリフィンでなぜドラゴンクエストを思い出すのかというと、強敵と対戦すればするほど成長を感じるところ。
 ナンバー769号のNBAコラムでも書いたけれど、グリフィンは試合の前のスカウティングだけでなく、対戦が終わった後のビデオでもマッチアップした選手をさらに研究するほど研究熱心な選手だ。その結果、相手がいい選手であればあるほど、グリフィンはその相手の長所を自分の中に取り込んで成長していく。ドラゴンクエストで、相手が強ければ強いほど、その敵を倒した後に自分のキャラが強く成長していくように。

 つくづく、これだけの選手をルーキーシーズンから間近で見れるのは、ライターとしてこれほどの幸せはないと思う。
 長年続けていると、どんなことでも日常になってしまう。贅沢だと怒られることを覚悟で書くと、かつてはとても特別なことだったNBAを取材することも、いつの間にか当たり前に思うようになっていた自分がいた。
 それが、グリフィンを見ていると、レギュラーシーズンでも毎試合ワクワクした頃の気持ちを思い出すのだ。対戦相手がどんなチームであっても、試合を見に行くのが楽しみに思えてくる。そして、そう思える選手にまた出会えたということが嬉しい。
 これで、試合後のコメントが面白かったらさらにいいのだけれど、まぁ、そこまで求めるのは贅沢…というよりも、そうなると彼らしくなくなってしまうのかもしれない。それに朴訥とした話し方でも、そのコメントを長いスパンで聞いていると一本筋が通っていて、なるほどと思わされる。そういう発見もまた楽しい。

* * *

 間もなく終わる2010年。振り返れば、今年もまたすばらしいものを見せてもらった幸せを感じる。
 中でもすばらしかったのが、今まで見てきた中でもトップクラスの好シリーズだったレイカーズ対セルティックスのNBAファイナル。特にあの第7戦は、試合としては両チームともミスが多くてボロボロなのに、どちらも限界まで戦っている熱い気持ちが伝わってきて、見ているだけで感動した。あのシリーズを取材できたことは、マイケル・ジョーダンを間近で取材できたことと並んで、私のこれまでのライター人生で最高に幸せなことだったと思う。
 そして、今、またグリフィンのような、先が楽しみな逸材と巡り合えた幸せをかみ締めつつ、新しい年を迎えようと思う。

 読者の皆さま、取材に応じてくれた選手やコーチの皆さま、そして編集者の方々をはじめ、記事が世の中に出るために力をあわせてくださった方々、今年一年、どうもありがとうございました。

 そして、来たる2011年もどうぞ、よろしくお願いします。

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2010年12月30日 (木)

ベテランの熱い気持

 年が変わる前に、久しぶりにブログでNBAの話題を。
ツイッターでは、頻繁に取材ネタをつぶやいています)
…というのも、最近の試合で色々と思ったことがあったので。

 最近の試合といっても、世間から大注目だった割に残念な内容だったクリスマスゲーム、ヒート@レイカーズの話ではなく(そちらも思うことは多々あったけれど)、その翌日に行われたサンズ@クリッパーズ。

#そういえば、このサンズ対クリッパーズのマッチアップは1年前はクリスマスゲームのひとつだった。ドラフト1位のブレイク・グリフィンが、彼が手本としていたアマレ・スタッドマイヤーと対戦。しかもサンズには兄のテイラー・グリフィンも所属していたというオマケ付き。確かに、注目のマッチアップあり、ファミリー・ストーリーありで、クリスマスゲームにふさわしい対戦になるはずだった。しかし、グリフィンがプレシーズン中に故障して欠場。確か兄グリフィンもinactiveでスーツ姿だった。

 その1年遅れのマッチアップが、今年はクリスマス翌日に実現した。1年遅れたために、アマレはニックスに移籍してしまったし、兄グリフィンもサンズと契約更新してもらえず、今はベルギーでプレーしている。

 でも、いなくなった彼らに代わって実現したマッチアップが、意外なほど面白かった。ブレイク・グリフィン対グラント・ヒル。21才の実質ルーキー対38才のベテラン。フィジカルな肉体派パワーフォワード(208cm/114kg)対かつてジョーダンの後継者とも言われた技巧派スモールフォワード(203cm/102kg)。

 本来のマッチアップではなかったのだが、前半にグリフィンにマッチアップしていたビッグマンたちがやられっぱなしで、後半が始まるときに、ジェントリーHコーチがグラントにグリフィンのマークを指示したのだという(その前にヒルのほうからも、マンツーマンをやるならマークすると志願していたらしい)。

 未だに38才とは思えないプレーを見せてくれているヒルだけど、さすがにグリフィンのパワフルでアスレティックな動きにはついていけないだろうと思ったら、とんでもなかった。まさに“ロックイン・ディフェンス”。グリフィンにぴったりマークし、彼がやりたい動きをほとんどさせなかった。現在、ダブルダブル(得点・リバウンドで2桁)の連続試合記録@クリッパーズを更新中のグリフィンを、あれだけ抑えられるのはすごい。年齢差による身体の衰えはまったく感じられず、逆に経験の差を感じた。

 結局、サンズは103-108で試合には負けたのだけれど、ハーフタイムで12点ビハインドだった試合を、4Q終盤で1点ビハインドまで追い上げたのはヒルのディフェンスがあってこそ。前半で19点・8リバウンドをあげていたグリフィンだが、主にヒルがマークしていた後半はほとんどシュートも打てず、9点・4リバウンド(これも十分に立派だけどね)。二人のファウル数を見ると、後半だけでヒルが5ファウル(前半0)、グリフィンが4ファウル(前半1)。ここからも、どれだけフィジカルな戦いだったかがわかる。

 試合後に、サンズのアルビン・ジェントリーHCに、ヒルがなぜグリフィンを相手にあれだけのディフェンスができるのかを聞いてみた。
「それは、彼が努力することを厭わず、やりたいという気持ちでディフェンスしているからだ。しかも、そのことに誇りを持っている」(ジェントリー)

 さらに、同じ30代後半のスティーブ・ナッシュにも、ヒルのディフェンスについて聞いてみた。
「アンビリーバブルだった。言葉で言い表せないぐらいだ。グラントはこのチームにはとても重要な選手だ。2番であれ、3番であれ、4番であれ、チームが必要とすることをやってくれる。このチームは彼なしにはやっていけない。体重では(グリフィンに)かなり負けているけれど、それでも(ヒルには)戦う気持ち、賢さ、タフさがある」(ナッシュ)

 ヒルのフィジカルなディフェンスに対して、グリフィンもフィジカルなプレーで対応。さらには口でもトラッシュトーク(?)もしていたらしい。そのことについて、ヒルはこう言った。
「トラッシュトークをしてくるのなら、僕もそれには言い返す。コービーやレブロンのようなグレートプレイヤーも相手にするけれど、彼らは滅多にトラッシュトークはしてこない。1年目の選手だったら何も言うべきではない。彼はグレートプレイヤーだし、リスペクトもしているし、彼のことは好きだ(※)。でも競っているときには、僕は誰のことも好きではない。戦いなのだから」(ヒル)

※兄が昨季、サンズでプレーしていたので、ヒルはグリフィンの両親もよく知っているのだ。

 この戦いの姿勢。熱い気持ち。単に経験や技巧だけでなく、それがあるからこそベテランで若いスーパースター選手と互角以上に戦えるのだろうと思うのだった。こういった、気持ちが感じられるプレーを見ることができて、その気持ちを聞くことができると、どれだけ締め切り前がつらくても(苦笑)、この仕事をしていてよかったなぁとつくづく思う。年の締めにふさわしいいいものを見せてもらった。

 次のエントリーではグリフィンについて書きます。

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2010年7月31日 (土)

名勝負(2)

 今年のNBAファイナル第7戦についての備忘録後編。…って、すでにファイナルが終わって1ヶ月以上たってますね(汗)。今さらですみません。実は記事自体は(1)をアップした時点でほとんど書いてあったのに、その後、アップしそびれていました。読み返してみると、今さらという内容だけど、元々が備忘録なので、数年後に読み返して、こんなファイナルだったと思い出すためにアップします。

■気力の戦い
 試合中にツイッターでも書いたけれど、長いシーズン、そして長いプレイオフの後にフィジカルなファイナルを7試合まで戦っ て、両チームの選手はみんな疲れ果てていた。レイカーズの1QのFG成功率は22%。セルティックスも2Qの成功率が29.4%。両チームのディフェンス がよかったのもあるけれど、疲れからか、シュートは手前で落ち、いつもなら決めるようなプレーもミスしていた。まるで気力だけで戦っているような試合だっ た。

 レギュラーシーズン中なら、途中でグダグダになるような試合だったけれど、泣いても笑っても、これがシーズン最後の試合。負けたくないという選手 たちの思いが、この試合を熱いものにしていた。どんなにシュートが入らなくて、どんな凡ミスをしても、見ごたえがある試合にしていた。後まで語り継がれる にふさわしい名勝負にしていた。

 試合終盤がまた圧巻だった。これを決めなくてはとという場面で、この試合それまで3P6本中1本しか決めていなかったアーテストが3ポイントを決 めてレイカーズ6点リード。直後に、それまで5本中1本しか決めていなかったレイ・アレンが3Pを決め返して、すぐに3点リードに戻し、コービーのフリー スローの後、残り16.2秒で、3Pを打ってもいなかったロンドがコーナーから3Pを決めた。それまで、両チームともあれほどシュートが決まっていなかっ たのに(ちなみに、この試合で両チームが決めた3Pがあわせて10本。そのうち3本が残り1分余の間に決まったことになる)。

■ゲームボール
 試合の最後、残り数秒、勝利を確実にするためにオドムがフロントコートにボールを投げた。するとそれを追いかけていった選手がいた。コービーだ。ブザー が鳴ると同時ぐらいにボールを掴み、それからそのボールを離そうとしなかった。
 
 これを見て、96年のNBAファイナル6戦で、ゲームボールをしっかり抱いていたマイケル・ジョーダンを思い出した。あの時のジョーダンも、この7戦の コービーと同じように不調で、チームメイトの助けで勝ち、優勝を決めた試合だったっけ。何かと比べられる二人だけに、安易に比べたくはないけれど、コービーにとっても、当時のジョーダンにとってもこの優勝が他のどの優勝ともまた別の意味を持っていたことを象徴する場面だった。

-----と、あらかじめ書いておいたのはここまで。せっかくなので、HOOPのレイカーズ連載原稿にも書いたことをひとつ、書き加えておきます。上の2つ目にも関連した話。-----

■勝負強さ
 第7戦でのレイカーズのヒーローはロン・アーテスト。優勝決定後の、はじけた記者会見は後々に語り継がれるような名(迷?)記者会見だった。その中でも、特にひとつ印象的だったコメントがあった。「自分は大舞台には弱かった。そのことは自分でも自覚していた」というのだ。スポーツ精神科医にかかっていたことを話す中でのコメントだ(こうしてスポーツ選手が自ら大舞台に弱いことを認めるのは珍しい。実際、アーテストもファイナル第7戦という究極の大舞台で活躍できたからこそ、口にしたことだっただろう)。

 一方、レイカーズで勝負強い選手といえばコービー・ブライアント。第7戦のような大舞台で、特に接戦になれば、コービーがシュートを打って決めると、誰もが思っていた。しかし、この試合ではそのコービーのシュートがまったく入らなかった。最後には調子をあげてくるだろうと、誰もが思っていたけれど、最後までロングシュートは入らなかった。その分、ディフェンスを読んでファウアルを誘ったり、リバウンドを取ったりと別の面でチームに貢献し続けたのはさすがだけれど、シュートのあまりの不調ぶりに、試合を見ながら、シーズンを通して指や膝、足首などの故障を抱えながら戦ってきた身体が最後に悲鳴をあげたのではないかと推測していたほどだった。
 しかし、試合翌日のラジオでのインタビューでコービーが認めたことは、彼が故障を認める以上に驚きだった。故障以上にメンタル面での問題だったのだというのだ。「欲しいという気持ちがあまりに強すぎて、そのために無理をしてしまい、求めているものはさらに遠ざかってしまう。そんな状態だった」というのだ。優勝を成し遂げた後とはいえ、そのことをコービーが認めたのは驚きだった。

 つまり、この第7戦のレイカーズは、勝負強いはずのコービーがいつも以上にシュートを決められず、自ら勝負弱いと認めていたアーテストがここ一番のシュートを決めた試合だったのだ。どんなに高いレベルの試合でも人間がやることなのだということを再認識するとともに、つくづく、これがチームスポーツの面白さなのだなぁと思うのだった。

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2010年6月20日 (日)

名勝負(1)

 今年のNBAファイナルは本当に見ごたえがあった。2年前の優勝チーム、ボストン・セルティックスと、1年前の優勝チーム、ロサンゼルス・レイカーズ。お互いに優勝経験があるだけに、勝つために必要なことが何なのかも知っている。コーチのオンコート、オフコートでの采配もすばらしく、チームとしての結束も強い。
 始まったときから期待はしていたけれど、その期待を裏切ることなく、最後までどっちが優勝するかわからないすばらしい熱戦となった。優勝したレイカーズも、惜しくも敗れたセルティックスも、どちらもすばらしいチームだった。

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 特にその熱い戦いを象徴するかのような名勝負となったファイナル第7戦について、備忘録を兼ねて、印象的だったことをいくつか書き残しておこうと思う。
(長くなったので2回に分けます)

■声援
 G7のレイカーズ・ファンは珍しく試合開始前から大声援。ボストンのメディアからすると「普通レベルの大きさの声援」だったらしいけれど、LAにしてはかなり頑張っていた。セルティックス選手の妨害にはなっていなかったかもしれないけれど、レイカーズ選手にとっては強烈な後押しになっていた。

 その象徴的だった場面。この試合、シュートが入らず、ファウルをもらえず、ボールをコントロールできずにターンオーバーをし苦労していたコービーが、4Q半ば、ようやくレイ・アレンンのファウルでフリースローを3本もらった。そのとき、スタンドから「コービー! コービー!」の声援が起きた。

 いつもならコービーに対する声援というのは、すばらしい活躍をする彼を称える声援なんだけど、このときばかりは、どちらかというと疲れが見えるコービーを後押しするための声援。この時点でレイカーズ4点ビハインド。コービーが3本のフリースローを決めて1点差に追い上げるという、試合では大事な場面だった。

 でも、実はコービー、この声援を聞く余裕もなかったらしい。試合後にこのときの声援について聞かれて「正直言って、聞こえなかった。疲れていて、耳鳴りもしていた。まるで朝6時にトラックを走っているようだった。とにかく疲れ果てていた」と言っていた。
 余談だけど、朝6時にトラックを走るって、どっちかというと早朝で気持ちよさそうなイメージがあるんだけど、このときにこういう比喩で出てくるっていうことは、コービーが早朝トレーニングでどれだけ追い込んでいたかという表れなんだろうか。ちょっと気になる。

■静寂
 試合後、両コーチの記者会見を聞いた後はロッカールームへ。会見場からロッカールームへとつながる廊下は、手前にあるレイカーズのロッカールームに入ろうとするメディアと、レイカーズ選手の家族・知人、そして関係者でごった返していて、とても通り抜けられそうになかったので、いったんコートに出て、サイドラインを抜けて反対側の入り口からセルティックスのロッカールームへ。

 ホームコートのチームが優勝を決めたときはいつもそうなんだけど、アリーナの中で敗戦チームのロッカールームだけが別世界。しーんと静まり返る部屋には選手の姿は一人もなく、片隅にメディアが数十人、5~6重の輪を作っていた。待つ間、メディア間の雑談もほとんどなく、何か話すときもひそひそ声。そうしなくてはいけないような雰囲気が漂っていた。反対側のロッカールームでは、怒鳴るほど大きな声で質問しないと聞こえない状況なのとは対照的だ。

 残っていた選手は全員、裏のトレイナールームで着替えていて、取材を受けるために一人ずつロッカールームに出てきては、その輪の中で話をしていた(セルティックス選手は一人も記者会見場には行かなかったので、ここで話を聞くしかなかったのだ)。

 あの部屋の中でレイカーズの優勝を感じられたのは、セルティックスのスタッフを手助けするために時折部屋に入ってきたレイカーズのボールボーイたちがかぶっていたチャンピオン・キャップだけ。

 私が行ったときには、すでにレイ・アレンは話し終えていたようで、ポール・ピアスが話している最中。その後、ロンドが、そしてKGが出てきて、小さな声で質問に答えていた。声は小さかったけれど、部屋もしーんとしていたので、輪の後ろのほうからでも声は聞こえた。表情は見えなかったけれど、ドクの話によると、試合後は全員がロッカールームで泣いていたらしい。

 2年前、TDガーデンでレイカーズのロッカールームもこんな感じだった。あの時、レイカーズが感じていたのと同じ悔しさ、やり切れなさを、この日のセルティックスは感じていたのだろう。伝統ある両チームのライバル関係に新しい歴史が加えられたのだということをしみじみと感じた静寂だった。

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2010年5月31日 (月)

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 カンファレンス・ファイナルになると、全米各地の記者が増えてくる。先日のサンズ@レイカーズ第5戦でも、懐かしい顔がチラホラ。
 一人はかつてNYタイムス、現在ワシントン・ポストのマイク・ワイズ。メディアルームの外でばったり顔をあわせて、お互い挨拶した後に「時々、君のbyline(記名記事に書かれた筆者名)を見るよ」と言われた。何かと思ったら、どうやら私の名前で検索したらしい。
 ちなみに、マイクは、少しだけ日本語を話すことができて、ひらがなだったら読めるらしい。でも漢字は読めない。…ということは当然、私の記事は読めず(笑)、記事にあるアルファベットの名前部分だけ見るに終わったようだ。「日本語が読めたら、ブログもツイッターもやっているのに」と言っておいたけれど、たぶん無理だろうな。

 もう一人見かけた懐かしい顔は、元スラム誌で今はESPNのスクープ・ジャクソン。シカゴに住んでいた頃はよく試合で顔をあわせていたけれど、私がLAに引っ越してからはオールスターやファイナルなど大きな試合でしか会わなくなった。
 翌日のLAのラジオにも電話出演していたのだけど、何でも試合は最後まで見ることができず、空港に向かう車の中で最後の劇的な場面の実況を聞いていたらしい。
 その直後、彼が司会を務める The Next Roundという番組がESPNで流れていたのだが、LAを拠点とするESPNのライター、JA・アダンデ(元シカゴ・サンタムス→ワシントン・ポスト→LAタイムス→ESPN)がゲストとして出ていたから、もしかしたらこの番組の収録でLAに来ていて、ついでに試合に来たのだろうか。

 それはともかく、このThe Next Roundが、1回2分間というごく短い番組なのだけれど(CMのような扱いなのかも)、なかなか雰囲気がよく、さらに内容も面白いのだ。Jin Beam というウィスキーの会社がスポンサーということもあって、ジャズバーのようなセットでスクープ+2人のゲストがNBAを語る(放映は2分だけど、30分番組が作れるほど話していると思うので、ぜひカットした部分も見てみたい)。
 
そういえば、昔、シカゴでは個性豊かなベテラン・スポーツライターが媒体を越えて出演、葉巻やタバコを吸いながら喧々諤々とスポーツを語るという番組(The Sports Writers on TV)があったのだけど、それを現代版&お洒落にした感じ。スクープはシカゴで育った人なので(今もシカゴ在住)、あの番組が元のイメージとしてあるのかもしれない。

 The Next RoundでJAが出ていた回のもう一人のゲストは、インディアナ・ペイサーズのダニー・グレンジャーで、トピックは敵選手を称賛すること、敬意を払うこと。その流れで対戦相手の選手、敵チームの選手のシグニチャー・シューズを履く話になった。すると、JAがこう言った。
「ジョーダンがまだ現役だった頃、彼をマークしなくてはいけないのにエアジョーダンを履く選手がいるっていうのが信じられなかった。僕はインタビューするのにもエアジョーダンを履いていきたくなかった。そこまで彼にアドバンテージを与えたくなかった」
 この気持ち、わかるな~。このあたりは、記者によっていろんな考え方があると思うけれど、私も取材するとき、できれば選手とは対等な気持ちでしたい思っている。上でも下でもなく同じ立場。もちろん、選手たちはすばらしい才能の持ち主で、そのことに敬意は払うけれど、記者が取材する前から選手に媚びていたら、いい話は聞きだせない。ジョーダンのことも、長年近くで取材していたけれど、エアジョーダンを履いて取材したことはない。エアジョーダン自体、持っていなかったのだけれど、買うのに躊躇したのにはそういった気持ちもあったのだと思う。エアジョーダンを履いたからといって媚びているわけでもないけれど、こっちの気持ちの問題として、ね。
 この番組を実際に見たい方はここでどうぞ。あとiTuneのPodcastでも番組をダウンロードできます。お勧め。

 さて、ここまでは実は長い前振りで、ここからがきょうの本題。JAの話で思い出したのが、この写真。

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 少し前に探し物をするのに資料が入ったダンボール箱を探っていたら出てきた写真だ。いや~懐かしい。ロッカールーム内はオフィシャル・カメラマン以外はカメラでの写真撮影は厳禁なので、長年取材していても、この手の写真はほとんど持っていない。この写真はブルズのオフィシャル・カメラマンのビルがいつの間にか撮影していてくれたようで、後に大きく引き伸ばしてプレゼントしてくれたのだ。
 注目はこのときに私が履いていたシューズ。スニーカーっぽくない色で気に入っていたのだけど、実はFILAのシューズだった。気に入っていたので、試合にも時々履いていったのだけれど、あるとき(この写真とは別のとき)、試合前のロッカールームでいつものように選手が出てくるのを待っていたら、トレイナールームからロッカールームを通って出て行ったジョーダンが、本当に一瞬チラっとこのシューズを見ただけでナイキでないことをわかったようで(シューズ好きの人からしたら当然かもしれないけれど、シューズの見分けが苦手な私にとってはそれ自体がすごいことだ)、通りがかりに「なんでナイキを履いていないんだ」と言い、その返事を待つことなく通り過ぎていった。
 これにはさすがに、私も、一瞬、「え?」状態だった。ジョーダンが通り過ぎてから、FILAのシューズについて言われたのだとわかり、いやはや目ざといと驚くやら、一人のメディアのシューズにもそこまでこだわるかと可笑しくなるやら。

 ジョーダンのナイキに対する忠誠心にまつわるエピソードは他にもたくさんある。たとえば、以前、シカゴで行われていたジョーダン・キャンプに日本から来た子供たちの通訳という仕事をしたことがあった。そのとき、キャンプ参加者には、キャンプの最後に一つだけ、自分が持ってきた好きなものにジョーダンのサインをもらえるという特典があった。参加していた日本人の子の一人が、いつも自分が履いているアシックスのシューズにサインをもらいたいと差し出したそのとき、ジョーダンは「これはだめだ。シューズはナイキじゃないとサインはしない」と言うのだ。英語が喋れないその子に代わって「でも、ナイキは元々、アシックスの販売会社として始まったのだから、言ってみれば兄弟会社のようなもの」と主張したものの、「それは知っているけれど、だめだ」と、最後までアシックスのシューズへのサインを拒んだ。たぶん、他メーカーのシューズにサインをすることで、そのシューズを認めているように受け止められる可能性があるのが嫌なのだろう。結局、その時はシューズではなく、シャツか何か別のものにサインしてもらって一件落着だった。

 色々な選手を見てきたけれど、ジョーダンほどこういった細かいところで揺るぐことなく、頑固なほど一貫した言動を取り続ける選手は他にあまりいない。他の選手だったら、自分が契約しているメーカー以外のシューズでも、子供からサインを求められたらサインするんじゃないだろうか。ジョーダンのように、いつでも、どんなときでも拒み続けるのもエネルギーがいるはず。でも、そんなことにまでこだわり続けるメンタリティは、ジョーダンの偉大さを支えている重要な要素の一つだと思うのだ。

 通りすがりにシューズを見分ける視野と動体視力(?)もね。

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2010年5月 4日 (火)

戦士のアクセサリー

 1回戦の間にアップするつもりだったのが、少しずれこんでしまいましたが、1回戦レイカーズ対サンダーの取材ファイルから、コーチ、選手が、戦いの場でつけているアクセサリーを紹介。

P1110164s_2  これはレイカーズHコーチ、フィル・ジャクソンの手。指につけているのはレイカーズの2008-09シーズンの優勝指輪。フィルは毎年、プレイオフになると、一番最近優勝したときの優勝指輪をつけるのだ。

 ただ、この08-09シーズンの指輪は、鑑賞するにはいいけれど、つけるには大きくて、ごつくて、ぐっと握ってくる人と握手すると怪我人が出そうなぐらいだと、プレイオフが始まったばかりの頃にぼやいて(?)いた。それでも、しっかりと試合のときだけでなく、練習のときもつけている。特別な時期であることをまわりに示すため。

 とはいえ、今のレイカーズの選手たちは、ロン・アーテストを除いてみんな自分たちもこれと同じ指輪を持っているのだけれど。

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 こちらは、レイカーズのキャプテン、デレック・フィッシャーのシリコンのリストバンド。ピンクのほうには娘の名前が、青いほうには、シンプルに [WIN]と入っている。
P1100994s_3  サンダーのPG、ラッセル・ウェストブルックのリストバンド。青いほうに[KB3]と入っていたので、何のことだろうと不思議に思っていた。で、第6戦の前にロッカールームで聞くチャンスがあったので聞いてみた。すると、これは彼の幼馴染の親友でバスケ仲間(Khelcey Barrs)のイニシャル&番号なのだという。残念ながら、ケルシーは16歳のときにピックアップゲーム中に心臓発作で亡くなってしまったため、こうやってリストバンドにイニシャルを入れることで、今でも彼とともにプレーしているのだという。
 オレンジのバンドには [Why not?] の文字。これについては「いつでも、そういう気持ちでやっているから」とウェストブルック。

P1110147s P1110053s_2  ある意味、これもアクセサリー?
(左)ピントが合っていない写真でスミマセン。ロンロンの(ロン・アーテスト)の左手。テーピングでグルグル状態で、デレック・フィッシャーいわく、「ボクサーのよう」と。
(右)ラマー・オドムの背中。シーズン中から痛めている左肩を、練習後にアイシングしているところ。ついでながら、これが私が取材するときの視野だったりします。背中以外、何も見えない(苦笑)。もう慣れました。 

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2010年4月27日 (火)

がけっぷち?

 プレイオフが始まって1週間余。特にウェスタンカンファレンスは、最後までシード順が決まらなかった混戦がそのままプレイオフにも表れていて、4戦まで終わったところで、2-2が2つ、下位シードがリードする3-1が2つ。上位4チームが1チームも2回戦に進めないなんていう前代未聞(たぶん)のことになったりして…と思ったり。

 ロサンゼルス・レイカーズは、8位シード、若くて経験もないオクラホマシティ・サンダー相手に2勝2敗。お互いに自分のホームコートで勝った互角の戦いなのだけれど、2戦@LAが接戦だったことと、4戦@オクラホマシティがサンダーの大勝だったこともあって、なんだかレイカーズのほうが劣勢のように思えるほど。

 第5戦前日のレイカーズ練習後の取材でも、「がけっぷち(back on the wall)」「勝たなくてはいけない試合(must win)」といった言葉が飛び交った。もっとも、がけっぷちというのは、メディア側から質問として出た言葉。コービーはそれに対して、「シリーズはまだ2勝2敗じゃないか。これがプレイオフだ。いったい、みんなどうしちゃったんだ?」と笑い飛ばしていた。第4戦から2日あいていることで、膝の調子はだいぶ回復したようで、言葉からは自信が感じられた。

 とはいえ、次の第5戦の勝敗がシリーズの鍵を握るのはレイカーズの選手も認めるところ。ガソルははっきりと「Must win gameだ」と言っていた。

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 心配か?と聞かれたフィッシャー、「No. あなたは心配?」と逆質問。質問したベテラン・スポーツキャスターが「私はもう引退したから」とするりとかわすと、「心配するときではないと思う。我々は簡単ではないことを成し遂げようとしているのだから」と。
 取材のQ&Aなのに、フィッシャーの言葉は、相変わらず、すべてそのままロッカールームでのスピーチに使えそうなものばかりだった。

 たとえば、ひとつ例をあげると…。
「シリーズの中でサンダーのほうがうまくできることもある。彼らのほうが速いし、若いし、運動能力がある。彼らのほうがボールに速く追いつくこともあるだろうし、コートを速く走ることもあるだろう。でも、だからといって彼らが勝つとは限らない。我々は自分たちが勝つ方法を見つけるだけだ。それができると思っている。それをする最初のチャンスが明日の試合だ」

 これは、フィッシャー個人についてもあてはまる。フィッシャーは年寄りでスローだから、ラッセル・ウェストブルックのような若くていきのいいガードにはやられる一方、という意見もあるし、実際にやられる場面も多いけれど(個人的に、これはフィッシャーだけの責任ではないと思っている)、それでもジャクソンHコーチはフィッシャーを使い続けている。それはフィッシャー自身が口にしたのと同じ考えに基づいてからだと思う。スピードでは控えのファーマーやブラウンのほうがウェストブルックにマッチアップできるかもしれないけれど、それ以外の面でフィッシャーが出ているときのプラスがジャクソンにとっては大切なのだ。

 勝負の中にあるとつい近視的になってしまうけれど、大きな視点で見ることが大事なのだと、フィッシャーの言葉を聞いて思うのだった。

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2010年3月25日 (木)

信じる気持ち

 お久しぶりです。ツイッターを始めてからブログのほうはご無沙汰してしまっていますが、これからは、もう少しブログの更新も増やしていこうと思いますので、どうぞよろしく!

 さて。ツイッターでは、たまにバスケともスポーツとも関係ないこともつぶやくのだけれど、この数日はアメリカの医療保険改革法が成立したことについていくつかつぶやいてました。どんなことをつぶやいていたかはついろぐ(ツイッターの書き込みを日ごとにまとめたサイト)の3/24~3/25を見ていただくとして、その流れでこんなことを書いてます。
(どうしてこんな話になったのかに興味ある方はツイッターかついろぐで確認してくださいね)

     http://twitter.com/yokomiyaji より

アメリカは強者が強くい続けられることを望んでいる人が多い社会だということも再確認。長年住んでいて、頭ではわかっていたこととはいえ、こういうことに直面すると、ふだんは目立たないものがはっきり浮き出てくる。

この国(アメリカ)に慈悲の心を説くキリスト教のような宗教が浸透していなかったら、さらに大変なことになっていたかも。というか、強ければOKの国だからこそ、強者も弱者も宗教にすがりたくなるのかもしれない。

 そんなことを書いていたら、きょう聞いた地元スポーツラジオ局の番組(正確にはきのう放送になった番組をきょうiPodで聞いたのだけれど)に、マイク・ジェイムスが出演していて、こんなことを言っていた。

(ちなみに、マイク・ジェイムスは3/1にワシントン・ウィザーズとの契約を買い取り、現在はフリーエージェント。自分の基金(Mike James Foundation)の資金とするために、最近、自伝本を出版したらしい。興味ある方は、彼のウェブサイトをチェックしてみてください)

──子供から、『NBAに入るという夢を達成するためにできることで、何が一番重要なことですか?』かと聞かれたら、何と答えますか?
「(少し考えてから)生活の一番に神をもってくることだね」

──それは、それほど大事なこと?
「そう思う。一人でたどり着くことはできないからね。途中で助けてくれるような人がまだいなければ、なおさらだ。この先、人々に見放されることは何度もあるだろうし、できないと思うときも何度もあると思う。神を心に置き、祈り続け、信じ続けることだ。誰からも門前払いをくらうようなときでも、神は決してあなたを見放すことはない。あなたがまず神を信じることさえすれば、彼はあなたの味方であり、努力し続ければトンネルの先には明かりが見えるはずだ」

 マイク・ジェイムスはNBA選手の中でも信心深いほうではないかとは思うが、それでも、このような信仰心はNBAでは特に珍しいわけでもない。むしろ、選手たちの多くがたどりつく最終的な境地であるケースが多いと思う。きっと、彼らには子供の頃から生活の中に神がいたからなんだろうと思う。親に連れられて、当時は面倒だと思いながら教会に行っていたのかもしれない。そんな生活をしてきたから、最後は自然と神にたどり着く。そして神を信じることで強い自分を保つことができる。

 これは、無神論者(多神論者?)が多く、お払いや祈祷などの儀式以上の宗教をスポーツの世界に持ち込むことなんて考えられない日本とは違うところではないだろうか。
 そう考えると、日本の選手たちは神のかわりに何を支えに努力し続けているんだろうか? 自分を信じる気持ち? とはいえ、誰だって弱気になるときはあるはず。もしかしたら、世間に向かって公言しないだけで、信仰を持っている選手は意外といるのだろうか? 特定の宗教の神ではなく、自分なりの「神」を持っている選手は多いような気もするけれど、どうでなんでしょうか? 

 宗教のことって微妙なトピックなので書くかどうか迷ったのだけれど、ブログだから書けることもあるのかなと思って書いてみました。
 ちなみに、私自身は無神論者(「論者」というほど大げさなものではないけれど)。でも、アメリカ人に「信じている神はいない」と言うと驚かれる。そういえば、だいぶ前、仲のいいアメリカ人記者(この人は記者であり、牧師でもあるのだ)とそういう話になって、かなり真剣な表情で「ヨウコ、君も神を信じて、いっしょに天国に行こう」と言われたことがあったっけ(キリスト教では、神を信じない人は地獄に行くとされているので)。

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2010年2月 4日 (木)

昔ライバル、今チームメイト

 ブログではすっかりご無沙汰してました。ツイッターは気楽に書けることもあって、取材ネタなどちょこちょこと書いているので、興味ある方はそちらも見てくださいね。

 さて、久しぶりなので少し前の話。1月半ば、キャブスがLAにやってきた(@クリッパーズ戦)。

P1100079s_2  試合前、ロッカールームに行くと、ちょうどレブロンがジャワッド・ウィリアムス(元北海道レラカムイ)といっしょに試合前の練習に行くところ。エンドラインから見ていたら、二人で交互にシュートを練習していた。

 余談だけど、シュート練習を見ていると、レブロンは本能でプレーしている選手だなぁと思う。練習だからといって丁寧に打つわけでもなく、崩れた体勢から軽くポンポンと打っているのを見て、そう思った。決して努力していないという意味ではなく(努力はすごくしていると思う)、それ以上に本能と運動能力が桁はずれということなのかもしれない。

 P1100043s そういえば、レブロンとジャワッドは同じクリーブランド出身で、年齢も2歳違いだけに仲がいいんだっけと思い出し、試合後にジャワッドに高校時代のことを聞いてみた。
 ジャワッドいわく、レブロンの高校とは正式な試合はしたことはないけれど、一度、スコアもつけないスクリメージ(練習試合)をしたことがあるのだという。ジャワッドがジュニア(3年=日本の高校2年)、レブロンがフレッシュマン(1年=日本の中学3年)のときのこと。レブロンともその話を時々するらしい。といっても、自分やレブロンがどんなプレーをしたかということはまったく覚えていないのだとか。
「覚えているのは、チーム同士であやうく喧嘩になりそうだったことだけ。レブロンは当時からうまかった。でも、ここまですごくなるとは思わなかった。あの頃はまだ6-5、6-6ぐらいの身長だったんじゃないかな」(ジャワッド)

 そのジャワッド、クリスマスにレイカーズとの試合でLAに来た頃には、あまり出番がなくて、出ても点差が開いた試合の最後1、2分だけだった。それが、年が明けてチームに故障が続いたためにチャンスが回ってきた。そして、そのチャンスを生かしてチームに貢献、今ではしっかりローテーション入りして毎試合15~25分のプレータイムを得ている。
 そういえば、そのクリスマスの試合前に話したときに、「今はただ、自分の番を待っている。今の自分にはそれしかできないからね。でも心配はしていない。その時が来ればできる。そのための準備はできている」と言っていたのだけれど、本当にその通りだった。

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